寺山にせよ鈴木にせよ、背後にそういう演劇界の雰囲気を漂わせていたことは疑いない。私は一度だけ、福田恆存に本駒込の三百人劇場でインタヴューしたことがあるが、その福田でさえ演劇の匂い、劇場の匂いを漂わせていた記憶がある。背広姿だったが、福田の気性そのものに演劇人を感じさせるところがあった。

山崎にはそういう匂いがまったくなかった、と私は思う。寺山修司、鈴木忠志、唐十郎はもとより、福田恆存ともまったく違っていた。人に演劇人という印象をほとんど与えなかったと言っていい。

私は、関西という場所もあって、山崎が「ひょうご舞台芸術」すなわち兵庫県立芸術文化センターの仕事にどのように関わっていたかまったく知らないので断言することはできないが、資金集めに奔走することはあっても、演劇の現場、舞台芸術の現場の匂いはほとんど感じさせなかったのではないかと思っている。

山崎が漂わせていたのは、行動する「思索者」という雰囲気であって、行動する「演劇人」でも「劇作家」でもなかったのではないか。

行動する「思索者」というイメージは、サントリー文化財団の副理事長──文化活動の実質的な責任者──にはまさにぴったりだったと思うが、劇作家・山崎正和には必ずしも相応しくはない。演劇や舞台活動をめぐって執筆を依頼するということなど、およそ考えられなかったのである。

事実、管見では、山崎には劇評、舞台評がほとんどない。小林が話の枕にしばしば美術品や映画、演劇の寸評、自身の些細な身体的体験を引いていたのとは対照的である。些細なようだが、これは重要な事実である。

山崎はなぜ、演劇批評や舞踊批評、さらには美術批評、音楽批評に手を出さなかったのか。それこそが大学時代に専攻した分野であったにもかかわらず、である。

たとえば『装飾とデザイン』は、『世界文明史の試み』に先立って、造形芸術に潜む「ある」身体(装飾)と「する」身体(デザイン)の鋭い対比から人間存在の秘密を解き明かそうとする力作だが、文明批評ではあっても、美術批評ではまったくない。

コルビュジエのデザインやガウディの装飾を作品として論じているわけではないのだ。美術史家ゴンブリッチの著書がいたるところで参照されてはいるが、文明論としてであって作品論としてではない。

なぜか。答えはおそらく簡単である。芸術批評の原理がなお確立されていないと考えていたからである。さらに端的に、それを確立しえない西洋近代哲学の限界を感じ取っていたから、と言ってもいい。そう考えるほかないと私は思う。

山崎にしてみれば、デカルトからカント、ベルクソン、さらにはメルロ=ポンティにいたるまで、徹底的に批判されるべき哲学者たちだったのである。彼らはみな感覚に相応の注意を払っているにもかかわらず、身体の次元を取り逃がしていたからである。人間の主体は身体であって意識ではない。だが、彼らはみな意識に固執していた。

その事実をはっきりと述べたのが『リズムの哲学ノート』にほかならない。その道程を思うと嘆息せざるを得ない。小林秀雄の限界を刻印するにはそれだけの時間を要したのである、と、私には思える。

山崎は『リズムの哲学ノート』においてベルクソンを完膚なきまでに批判している──私の眼にそれは圧倒的に正しいと思える──が、しかし、おそらくはいまや視界明瞭になったと感じるようになったからだろう、相応に深い敬意を払ってもいる。

私にはその背後に小林の姿が見えるのである。小林にはまったく触れていないにもかかわらず、である。小林のベルクソン論『感想』は失敗した──自身の手では刊行しなかったのだ──が、山崎のベルクソン論『リズムの哲学ノート』は成功したのだ、と、私は思う。

※後編:意識から感情へ――山崎正和が『リズムの哲学ノート』で開いた地平 に続く

 

三浦雅士(Masashi Miura)
1946年生まれ。弘前高校卒業。1969年、青土社創立と同時に入社。『ユリイカ』、『現代思想』編集長などを務める。『メランコリーの水脈』(福武書店、サントリー学芸賞)、『身体の零度』(講談社、読売文学賞)など著書多数。

 
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 『アステイオン』103号
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