米国・イスラエルとイランの対立は依然予断を許さず、先行きには不透明感がつきまとう。
発信源や真偽が定かではない情報が錯そうする中、日本語のイラン関連記事は外電経由のものが多く、現地取材、情報把握の難しさをうかがわせる。
「そもそもイランという国がわからない、実情が見えにくい」。筆者自身のそうした疑問点から、まずはこの国の基礎情報、そして複雑な事情、対外関係に関する解説書が必要だと思い至り、このたび『2つのイラン 「顔の見えない国」の矛盾』(WAVE出版)を上梓する運びとなった。
サブタイトルにある「矛盾」という言葉には批判的要素が色濃いため、『「顔の見えない国」の孤独』や、「矛盾」の代わりに「葛藤」、「相克」を使う案も出たが、「2つのイラン」という二面性を考えると、やはり矛盾という言葉に落ち着いた。
この国について分析や解説を加える際、現下の情勢を踏まえれば、否が応でも体制の問題点に触れなければならない。客観的事実のはずが、知らず知らずのうちにイランへの批判にならざるを得ないことが多々あった。
ただ、1つ言えるのは、国家と国民は違う。筆者はイランについて多少なりとも見聞してきた者の思いとして、イランに対する非難や問題をあげつらうよりもむしろ、イランの良い面にも光を当てたかった。
日本で付き合ってきた優しいイラン人、米国などにいるイラン系の友人など、好感情を抱く相手は少なくない。そしてかつて同国を旅した際によくしてくれたイラン人の親日ぶりは忘れられない。
彼らが今、どのように暮らしているか、知るよすがを筆者は持ち併せていない。それでも、一日も早く彼らの上に平和が訪れるよう、この本には願いを込めた。
サッカーワールドカップ開幕
現下は北中米共催ワールドカップが開催され、戦争中のイランも米国で参戦する。
そうした中、NHKの人気番組『映像の世紀バタフライエフェクト』はワールドカップ開幕に合わせ、「熱狂が揺らした世界 FIFAワールドカップ事件簿」としてサッカーに焦点を当てた。その冒頭はイランの女性観戦の限界に触れるところから始まり、最後も2022年のカタール大会でイラン代表が国歌を歌わなかったことを伝えた。
このイランという国について何かをものするとき、中立的に何かを伝えることの難しさをあらためて痛感する。
このたび、6月下旬発売の拙著『2つのイラン』より一部抜粋して掲載する。
(以下、「第1章8節スポーツ──政治に揺れる闘技場」より抜粋、一部加筆修正、目次は末尾の通り)