スーダン北部、ナイル川河畔にある歴史的な都市遺跡、オールド・ドンゴラ。当時のゴミ山に近い場所から、手紙、行政文書、法律文書、お守りなどと共に、小さなアラビア語文書片が見つかった。
ポーランドのワルシャワ大学地中海考古学センターによると、この紙片は16世紀末から17世紀初頭にかけての「王の命令書」であり、ヌビア地方の伝説の王、カスカシュ王の名で出されたものだという。
オールド・ドンゴラは、かつてキリスト教王国マクリアの首都だった。しかし、同地は14世紀半ばに政治的中心としての地位を失って以降、同地についての資料は乏しく、その後3世紀の間の歴史は曖昧なままだった。カスカシュ王についても、19世紀初頭の聖人伝の中で簡潔に触れられている程度の人物だった。
発見された紙片は、完全な形で残っていた。内容は布と家畜の交換に関わる比較的平凡な実務的なものだが、アラブ化とイスラム化が急速に進んだ時期のドンゴラ王国の社会経済関係、特に国王と臣民の関係を垣間見ることができる貴重な資料でもある。研究を率いるワルシャワ大学のトマシュ・バランスキは「カスカシュとその宮廷は、伝統的な王室後援制度の中で、物質的な財の分配、ひいては社会的威信の分配を巧みに管理していたと推測できる」と述べた。
また、ワルシャワ大学は、16世紀末~17世紀初頭に、マクリア王朝の後継者に仕える書記官たちが既にアラビア語を使用していたことを重要な点だとした。ただ、当時はアラビア語が母語レベルで浸透していなかったようで、不自然な点も散見されるようだ。バランスキは「アラビア語がまだ母語ではなかった環境では、(紙片に見られる)非標準的な文法形式や筆記者の粗雑な筆跡は驚くべきことではない。紙の形状が不規則であることから、保存されている文書は実際の文書の草稿に過ぎなかった可能性もある」と指摘している。
また、王宮でアラビア語が広く話されていたかどうかは依然として不明であり、権力の中枢から遠く離れた地域の人々の間では、日常会話でヌビア語の地域方言がほぼ確実に使われ続けていたと思われる。
ワルシャワ大学はこの発見について、スーダンにおけるイスラム化の過程の範囲と速度、そしてアラブ人アイデンティティの形成に関する今後の研究にとって重要な意味を持つと評価している。
【参考文献】
Barański, A. Obłuski, M. Wyżgoł, The King of Nubia at work: archaeological context and text edition of a sixteenth/seventeenth-century Arabic document from Old Dongola, Azania: Archaeological Research in Africa, (2026).