リアリティーを隠しがちな日本

しかし、この批判には慎重な検討が必要である。被害者を責めることと、危険を教えることは、本来、別の問題として考えるべきだ。注意を怠った者を責めることになるからといって、注意そのものを教えないとすれば、それは安全教育の放棄になりかねない。

被害者が責められる可能性があるからといって、ライターを使った火遊びや工事現場でのかくれんぼを許したり、台風接近時の登山や海水浴を認めたりはしないはずだ。

危険なことは危険だと教える安全教育と、被害に遭った人を責めず、必要な心のケアを行うことは、別次元の問題である。心のケアを理由に安全教育を否定するのは、本末転倒ではないだろうか。

また報道についても同様である。日本では、ともすれば事故や事件のリアリティーを隠しがちになる。それが、ひいては組織の隠蔽を温存させる結果につながるかもしれない。そのため、「リアリティー報道」の推進を求める意見がある。

もっとも、これに対しては、「被害者のトラウマを深める」「不安をあおるだけ」「死体など、見たくないものを見せられると気分が悪くなる」「リアリティーの追求が至上命題になると、暴力的な取材が横行する」といった批判がある。

リアリティー報道への支持は一定程度存在

この問題について、一般の人々はどのように考えているだろうか。Polimill株式会社が提供するSNS「Surfvote」が、「リアリティー報道」について賛否を尋ねたところ、「賛成」が40%、「反対」が24%、「映像系のメディアだけは視聴者の生理的反応を考慮すべき」が26%だった。

この結果を見る限り、リアリティー報道への支持は一定程度存在している。ただし、映像表現については、視聴者の生理的反応への配慮も求められている。したがって、マスコミは配慮を前提にしながら、もう少しリアリティー報道に踏み込んでもよいのではないか。

「危険を危険と意識できない」が最も危険
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