「死者の内在化」と「社会的弱者の内在化」

この心情の源泉を「死者の内在化」とする著者の指摘に頷きながら、評者は、戦中派の「うしろめたさ」や「負い目」は、日本社会の「共感の文化」に棹さすことで「隆起した」感情に思えてきた。

「うしろめたさ」や「負い目」、「疚しさ」は、貧病苦が充満するかつての日本の庶民の世界にみられた「共感の文化」だったからだ。「助けられなかった」や「自分のせいで」と負い目を持ち続ける人の姿は、国民文学作家長谷川伸(1884~1963)の股旅物などにくりかえし描かれてきた。

負い目という共感文化は庶民だけではない、エリートにもあった。旧制水戸高校から東京帝大に進学した人(1909年生まれ)は、旧制高校生のときのことをつぎのように書いている。

この頃の旧制高等学校は同年齢男子1%未満だけの学校。バスケットボールの練習を終え、寮で風呂と夕食をすます。友人と朴歯の音を響かせながら、散歩に出かける。村の人々はまだ黙々と働いている。同じ年頃の青年が真っ黒な顔で鋤や鍬をふるっている。散歩道から見える駅構内では、同年配あるいは年下の工員が油まみれで車両の下に体を入れ、作業している。

自分はたまたま暮らしのよい会社員の家に生まれたから、こうやって(旧制)高等学校の生徒でいられるだけのこと。恵まれたがゆえにインテリやエリートになっていく自分に「うしろめたさ」や「負い目」を感じていく(*2)。

それは、本書が戦中派について言う「死者の内在化」と通底する「社会的弱者の内在化」である。

これが特殊事例でないことは、そうした負い目が学生文化や高学歴者のマルクス主義の関心への触媒となったことを想起すればよいだろう。戦後の学生運動やホワイトカラーの革新政党支持の背後にあった心情でもある。財界人や保守政党の政治家も社会福祉政策に強い関心をもち、政策の実現に取り組んだ。

「共感の文化」の崩落

しかし、近年の調査によれば、高学歴者ほど「結果の平等」より「機会の平等」を重視し、「自由競争」を選択し、「累進課税」を不公正で、強化するべきでないとしている(*3)。自省を促す“共感の文化”は、今や死者や社会的弱者ではなく、長いものへの「忖度」という「おもねり」にのみ痕跡をとどめているようにさえみえてしまう。

本書に頻繁に登場する『戦艦大和ノ最期』の著者吉田満(1923~79)は、戦後30年目の1975年にこう書いていた。日本人は、戦後の社会的復興に専念し、高度工業社会をもたらした。しかし、その反面の帰結は、「臆面もない自己中心、自己満足、他者への徹底した無関心」(*4)と。

1975年は戦中派が50歳をこえ現場の古株になりはじめていたときである。共感の文化の崩落が戦中派によって予告されていたのである。

【注】
(*1)米川明彦『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂、2020など
(*2)宮原誠一「教育への反逆」大河内一雄ほか編『抵抗の学窓生活』要書房、1951
(*3)竹中佳彦「現代日本のエリートと有権者の平等価値の構造」『理論と方法』第38巻2号、2023、本田由紀編著『「東大卒」の研究』ちくま新書、2025
(*4)「戦争文学者、この三十年の心情」『週刊読書人』1975年9月8日号
 

竹内 洋(You Takeuchi)
1942年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程単位修得退学。教育学博士(京都大学)。京都大学大学院教育学研究科教授、同研究科長、同学部長を経て、関西大学文学部教授、同人間健康学部長を歴任。京都大学名誉教授・関西大学名誉教授。著書に『教養主義の没落』『丸山眞男の時代』(いずれも中公新書)、『日本のメリトクラシ―』(東京大学出版会)、『大衆の幻像』(中央公論新社)など多数。

 

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