これは新たな出発ではない

モジタバが最高指導者になることで、短期的にはエリート層の結束が強まる可能性が高い。体制内強硬派は彼の下でまとまるだろう。モジタバの存在が不確実性を弱めるからだ。権威主義体制は存続の危機に直面したとき、その生き残りを確実にするために革新よりも予測可能性を選ぶことが多い。モジタバはまさにその条件に当てはまる。

しかし多くのイラン国民にとって、モジタバが体制を引き継ぐことは新たな出発どころか、侮辱に等しい。大量殺害、戦争、経済の崩壊や国際的な孤立を経た後も、イランの体制は同じ一族と同じ治安ネットワークの中に権力を維持し続けることを選んだというメッセージだからだ。

モジタバと強硬派の治安機構は、ハメネイの死を喜ぶ大衆の反応や抗議活動、さらには私的な反体制的発言でさえも、国民の恐怖心が弱まり社会の一部が体制に公然と背き始めた兆候として受け止めている。彼らの答えはほぼ確実に、新たな弾圧だ。それだけでなく、これまで以上に厳しく残虐なものになるだろう。

これはおなじみのパターンだ。国民がイスラエルによるイラン攻撃(昨夏の12日間戦争)を祝った後、政権は処罰で応じた。今年1月8日と9日の2日間だけで、反体制派1万人以上を殺害した。

モジタバの最高指導者選出は、差し当たり体制の信奉者たちを結束させる助けにはなるかもしれない。しかし同時に、イランの変質について最も悲観的な解釈を裏付けることにもなる。現体制は閉鎖的で世襲的で、弾圧の機構と切り離せない存在になったという解釈だ。

それは刷新の兆しではない。政治的な疲弊の表れだ。

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