
エメラルド・フェネル監督(『ソルトバーン』)による最新版の『嵐が丘』が大胆なのは間違いない。彼女は時には一貫性や物語の筋道を犠牲にし、悪趣味すれすれの過剰なスタイルを貫いた。
自分が14歳の時に愛した『嵐が丘』を映画にしたと、フェネルは創作の意図を説明した。つまり本作は小説の忠実な映画化というより、陰のあるはみ出し者の男と激情型の女の恋を1人のファンの視点から料理した2次創作だ。
だが、10代のフェネルはヒースクリフの人種という要素を見落としていたらしい。登場人物たちは彼を「褐色の肌をしたジプシー」や「ラスカー(南アジアや中東の水夫の意)」と表現し、その人種的曖昧さに並々ならぬ関心を寄せる。
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ヒースクリフが後年、キャサリンだけでなく階級社会全体に怒りをたぎらせるのは、肌の色に起因する苦労や差別が主な理由だろう。そんなキャラクターをフェネルは過去の映画版と同じく、どこから見ても白人のジェイコブ・エロルディに演じさせた。
小説を突き動かすのはヒースクリフの復讐だ。にもかかわらず復讐の大きな動機を描かなかったことで、フェネルは『嵐が丘』をもっと面白く「現代的」な映画にするチャンスをふいにした。
もっとも彼女の関心は大英帝国時代の階級や人種ではなく、上半身裸で干し草を束ねるエロルディにある。これを受け入れれば、低俗でエロチックでバカバカしさ全開の『嵐が丘』もそれなりに楽しめる。よくも悪くも、インスタグラムやTikTokの時代にぴったり合った映画だ。