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「明るい」と「暗い」の間──日本古来の色彩感覚

高松氏は、日本の色彩の起源について、光との関係性から説き起こした。

日本の色彩語は、もともと「赤(明るい)」と「黒(暗い)」という大きな区分から始まり、その中間として「青」が位置づけられていた。すなわち色が概念として確立される以前の古代、人々は光が当たって「明るい」状態を「赤」、まだ暗がりが残る状態を「黒」と総称し、その中間にあったのが「青」だ。

緑も青に含まれていたという事実は、色を厳密に選り分けるよりも、自然の明暗や気配として捉えていた当時の感覚を示している。色は当初、名称の多さではなく、社会的機能や象徴性によって意味を持っていた。

現在のように数千万色をRGBに基づくデジタルで厳密に区別する時代とは異なり、古代の日本人は、季節の移ろいや自然の状況と結びついた「大らかな、しかし解像度の高い」色彩語を持っていたと解説する。

より具体的に、平安時代は色が身分秩序や儀礼と深く結びつき、特定の色が厳格に用いられていた。黄櫨色、麹塵(青白橡)色、朱華(黄丹)色などは、天皇や貴族の装束に対応する代表的な色であり、それぞれが特定の植物から染められている。中でも紫は、日本紫草を用いた特別な色であり、冠位十二階の最高位に対応するなど、強い社会的・精神的価値を帯びていた。紫と一口に言っても、藤、菫、夕暮れ雲など、どのイメージを重ねるかによって幅があり、その「どこを紫とするか」を定める感性が切要だったとされる。

こうした色の理解は、植物を育て、山に入り、季節や土地の変化を身体で知る経験と不可分である。例えば、櫨の木は最も早く紅葉する樹木の1つであり、秋の訪れを告げる存在だが、現代ではかぶれやすい木として忌避されがちな面がある。しかし、巨木になると芯に鮮やかな黄色を宿すことを、古代の人々は知っていた。同様に、どんぐりの未成熟な青い実や、植物の成長段階そのものが色として名付けられていた事実は、自然を細やかに観察する眼差しの深さを示している。

「有職(ゆうそく)」が示すステータスと精神性