ここは「人間らしい価値」や意味づけに関わる領域で、単なる快楽や報酬とは異なる次元の評価を担うとされる。美は主観的で曖昧に見えるが、生物学的基盤をもつ現象だというのが神経美学の立場である。

日本的美の特徴と歴史的重なり

石津氏は、日本的美を一つの定義に収束させることはできないとしつつ、縄文から現代までの日本の美意識にまつわる流れを俯瞰した。

石津氏は、縄文時代から現代に至るまでの日本の「見取り図」として提示。欧米の美意識が時代とともに「上書き(更新)」されていくのに対し、日本の美意識は、新しいものを受け入れつつ古いものも消さずに残す「重層的な共存」が最大の特徴という。時代が変わっても断絶せずに、「共存」と「統合」を繰り返してきた。

自然の力強さへの畏敬(幽玄・有美)、無常観や物のあはれ、不完全さや欠損への肯定(詫び・寂び)、陰影や沈黙、余白を重視する感性、江戸の「粋」と「歌舞伎」の対照、近代以降の「きれい」概念や民藝運動の「用の美」、さらには現代の「かわいい」まで、多様な美意識が同時並行的に存在している。

これらに通底するものとして石津氏が重視したのが、「ありがたし」という感覚である。それは、存在そのものが奇跡的であるという感受性であり、自然、他者、道具、職人技にまで及ぶ。この感覚は、「もったいない精神」や弱きものへの共感とも結びついてきた。ただ、情報過多で効率化が進む現代社会では失われつつあるのではないかという問題提起もなされた。

応用への展開:崇高と余白

社会実装の例として、石津氏は①「崇高」と「ありがたし」、②「余白・空白」の力の二つの日本的美を取り上げた。

「崇高」と「ありがたし」