2020年夏のベラルーシ大統領選から1年以上が経った(編集部注:2021年11月現在)。26年もアレクサンドル・ルカシェンコが独裁を続けてきたベラルーシにおいて、5年おきの「大統領選挙」は、もはや政府による大規模な不正が誰の目にも明らかになっていた──選挙法の改悪、対立候補の投獄や国外追放、民主派ジャーナリストの暗殺、選挙結果の大規模な改竄。
いまアレクシエーヴィチはベラルーシの人々から話を聞き、それを積みあげるようにして小説を書いているという。「私はじっくり書くタイプですから、完成はまだ先だと思いますが」と語るその新作には、どんな人々が書かれるのだろう。
ただ、これまで書いてきた本が第二次世界大戦や原発事故などの「とりかえしのつかない惨事」の痕跡を追ったものであるのに対し、ベラルーシ民主化はこれから新しい道を切り開くべき課題であり、アレクシエーヴィチ自身も選挙後の調整評議会に名を連ねているわけだから、未来に対しより直接的に語りかけるような内容になるのかもしれない。
いま日本語で読める現代ベラルーシの小説は決して多くないが、アレクシエーヴィチのほかには、今年(編集部注:2021年)拙訳の『理不尽ゲーム』(集英社)が刊行されたサーシャ・フィリペンコがいる。1948年生まれのアレクシエーヴィチに比べると84年生まれのフィリペンコはだいぶ若い世代の作家だが、デビュー作の『理不尽ゲーム』はまさにベラルーシの民主化を扱った作品だ。
「ソ連最後の子供たち」世代と呼ばれる作者が、幼少期のソ連崩壊とその後のわずかな「自由」を、そしてルカシェンコの台頭と「昏睡状態」に喩えられるようなベラルーシの長く不自由な日々をいかに過ごしてきたか。
そこには、2020年に大々的に表面化し世界が知ることになった選挙前後の不正や弾圧やジャーナリストの暗殺といった問題が十年前すでに起こっていたことが語られている。フィリペンコはその後も、若者のいじめと同じ構造がいかに現代の大人社会に根づいているかなど、身近な社会問題を扱った作品を発表していた。
だがあるとき彼が自著の刊行記念イベントをおこなっていると、一人の若者が作者の前に歩み寄る──「すごい資料があるんだ、ぜひ小説に書いてくれないか」。ボグスラフスキーというその歴史研究者は、ソ連と赤十字の知られざる交信記録をアーカイヴから掘り出していた。「その瞬間、僕の作家人生は変わった」と、フィリペンコは語る。
これまで現代の社会問題を描きながらもどかしく感じていたその根っこを──歴史を、描きだしてやろうという希望が生まれたのだ。彼らはともにアーカイヴを巡り、スイスにも赴いて赤十字本部所蔵の資料を掘り起こす。
そうして、アレクシエーヴィチの扱う題材が徐々に現代へ向かっているのとは対照的に、フィリペンコは次第にソ連の歴史に目を向けていく。ベラルーシの閉塞感、国民の命がないがしろにされ続ける社会は、どのような歴史のもとに成り立ってきたのか。
『赤い十字』(拙訳、集英社)は2001年から始まる──ひとりの青年がロシアからベラルーシの首都ミンスクに越してきて、隣家に住むタチヤーナおばあさんと知り合う。アルツハイマーを患いながらもなかなか元気なそのおばあさんは、なかば強引に自らの生涯を語り始める。
──ロンドンに生まれ、革命期に亡命ロシア人の波に逆行するようにソ連に戻った風変わりな父に連れられてモスクワへやってきた。外国語の知識を生かし外務省のタイピストになり、第二次大戦期には赤十字国際委員会からの電報を翻訳し続ける。
赤十字の主な要求は、捕虜名簿の開示と捕虜の交換、待遇改善などだったが、ソ連当局は応じず、返信すらしない。そんななか、タチヤーナは戦地に赴いていた夫の名前をルーマニアの捕虜名簿に見つけ、とっさに「隠さなければ」と考える──
捕虜にとられた者は敵に寝返ったものとみなされ、ソ連に戻っても銃殺されてしまう。赤十字がよかれと思って送ってきている捕虜名簿が、ソ連政府にとっては「裏切り者の名簿」だということを彼女は知っていた。彼女は幼い娘を抱えながら黙して働き続けるが、いつ逮捕されるかわからない恐怖に絶えず怯えるようになる。
読んでいるとその恐怖は恐ろしいほど身に迫ってくる。第二次大戦期、戦争捕虜の交換と待遇改善のため世界の国々に呼びかけた赤十字国際委員会に対し、かたくなにそれを拒み続けたのが、ソ連と日本だった。捕虜となった国民の弾圧、「国のため」に湯水のように消費されていく人命......。
タチヤーナおばあさんは昔話をひと段落させると、現代のミンスクで、主人公を街北部のクロパティへと連れていく。そこにはスターリンの粛清で犠牲になった人々に捧げる碑がある。ところがベラルーシ政府がその碑を潰そうとしているので、その日はそれに反対する人々がデモをおこなうという。主人公は耳を疑う──粛清の悲劇が明らかになったはずの21世紀に、そんなことをする人がいるとは思えない。
しかしベラルーシではスターリンの復権がなされ、国をあげて「偉大な強権国家」への回帰がおこなわれているのだ。現地に集まりただ静かにろうそくを灯していた人々は、押し寄せた警官隊に倒され、主人公もおばあさんも、地面を引きずられて連行される。
そういったベラルーシの現実と、おばあさんから聞いた大戦期の話を併せて思い、主人公は「人の命は高価になることなどないのだ」と考える。「命はあらゆるもののなかでいちばん安価だ。その編曲は変わっても、旋律は変わらない。血はあいかわらず流れ続ける、人間とはそういうものだから」......。
フィリペンコがデビュー作の『理不尽ゲーム』で描いた現代から、ソ連の歴史へ遡った作品を描くようになったことにはいくつかの理由があった。