このことは、毛沢東が北京大学の図書館の小間使い的なことをやらされて、その屈辱に耐えかねて北京から逃れたことと深く関係している。もし長沙に逃げず、北京にいたら、北京には多くの優秀なエリート共産党員がいたので、毛沢東は絶対に北京代表にはなれず、第一回党大会の代表として党大会に参加することは出来なかったはずだ。
しかしその毛沢東は結局、毛沢東思想によって新中国を誕生させた。
習近平はその「新中国」を乗り越えて、「中国共産党建党」から「新中国」ではなく、「新時代」に入らなければならないのである。このネットの時代に、しかも中産階級が増えた時代にボトムアップ運動などが起きたら、一党支配体制は一瞬で崩壊する。人民は既にコントロールしやすい「無知の群れ」ではない。
ここにこそ上海市の第一回党大会開催跡地を習近平率いる新チャイナ・セブンが視察した意味がある。
「党の初心」に戻るのであって、決して毛沢東思想に戻るのではない。
もし、毛沢東思想を中心にすれば、「新時代」の中国は「網民(ネット市民=ネットユーザー)」の声を聴かなければならないことになる。
それは絶対にできない。だから、「中国共産党建党時の初心の威厳」により人民を圧倒し続けなければならないのである。
これが上海市に新チャイナ・セブン全員が揃って行った意味である。
江沢民閥を排除するためなどと、狭量な解釈をするのは妥当ではない。
この大局に気づかなければ、これからの5年間の中国の真相を見つめようとする正確な視座を持つことは出来ないだろう。
