北朝鮮の金正恩氏が2011年12月に同国の指導者となったとき、当時の胡錦濤・中国国家主席は、若くして指導者となった未知数の正恩氏に対する支持を対外的に表明し、両国間における「従来の友好的な協力関係」が強化されると予測していた。

それから2年後、正恩氏は叔父の張成沢氏の処刑を命じた。中国との主な交渉窓口であった張氏は、閉鎖的な北朝鮮で比較的改革志向の人物と見られていた。

以来、中国は米国のように北朝鮮の怒りの矛先にされるのではないかと、一部の外交官や専門家が危惧するほどに、中朝関係は急速に悪化していった。

米国とその同盟諸国、そして中国内でも多くの人が、北朝鮮を抑え込むのに中国政府はもっと努力すべきだと考えている。その一方で、北朝鮮の核・ミサイル能力の加速は、ハイレベルな中朝間外交のほぼ全面的な崩壊と同時に起きている。

北朝鮮との交渉窓口を長年務めてきた武大偉・朝鮮半島問題特別代表は、今夏に引退するまで1年余り訪朝していなかった。外交筋によると、後任の孔鉉佑氏もまだ訪朝していない。

大国である中国が貧困にあえぐ北朝鮮に対して、外交的支配力を行使しているという考えは間違っていると、中国人民大学の国際関係学教授、金燦栄氏は指摘する。

「両国間において主従関係は一度も存在したことはない。一度もだ。とりわけ冷戦後、北朝鮮は困難な状況に陥った時に、中国から十分な支援を受けられなかった。そこで、北朝鮮は自ら切り抜ける決心をした」

20万人から300万人が犠牲となったとされる1990年代半ばの飢きんが、集産主義の北朝鮮経済にとって転換点となり、個人による取引を余儀なくされた。それにより、北朝鮮はある程度、外部支援からの自立が可能となり、自主性を唱える主体(チュチェ)思想に信ぴょう性を与えた。

混乱回避

中国は1950─53年の朝鮮戦争で北朝鮮と共に戦い、当時の毛沢東国家主席は長男を亡くしている。以来、中国は北朝鮮にとって、主要な同盟国であり、貿易相手国となっている。

中国の影響を抜けたかった金正恩