従って真面目な「憂国者」ほど、極端な行動を取ってでもこの政治腐敗を正さなければいけない、という心情に至ってもおかしくはない。安倍晋三元首相を殺害した山上徹也も、政治思想としてはむしろ安倍元首相に近いナショナリストであったことが分かっている。
もしテロ事件が今後続けて起こるなら、それらは犯人への同情が集まったせいで起こる道徳的なアクションではなく、日本の民主主義システムがうまく機能しなくなったせいで起こる政治的なリアクションなのだ。安倍元首相の事件のときもそうだが、こうした事件が起こると「民主主義の危機」が叫ばれる。だが、因果が逆なのではないか。こうした不穏な事件が「民主主義の危機」をもたらすのではなく、不穏な事件は「民主主義が危機」のシグナルなのだ。
思い起こせば戦前の日本も、治安維持法で(主に)左翼の政治思想を徹底的に弾圧したにも拘わらず、血盟団事件や二・二六事件など、「腐敗政治」を正そうとする右翼のテロリズムに何度も見舞われ、軍部独裁と戦争への道に突き進んでいった。
既に書いたように、SNSを中心に犯人に同情を集めかねないのでテロの動機について掘り下げる必要はないという極端な議論が勢力を増しつつあり、一部国会議員や学者までもそれに加担する始末である。しかしもはや、テロの原因を探ることの是非を議論している場合ではない。日本の「民主主義」の在り方を根本から問い直す時期に来ているのではないか。