また、ハーケンクロイツを掲げるような政治団体と懇意にしている場合も大きな批判の対象となる。昨年の自民党総裁選に出馬した高市早苗候補は、2014年、ネオナチ団体の代表とツーショット写真をとり、また1994年には『ヒトラー選挙戦略』という本に推薦文を書いていた。

批判対象をヒトラーやナチスでたとえるのは、ヒトラーやナチスが悪いものであることを前提にしているのだから、それほど問題にはならない。ただし、ヒトラーやナチスに別の悪いものを対置することで、ヒトラーやナチスの犯罪を相対化することは許されない。

「ヒトラーを思わせる」は論評の範囲

1980年代にドイツで起こった「歴史家論争」は、この問題に関わっている。ヒトラーはユダヤ人虐殺を行ったが、スターリンも多くの人々を虐殺した。従ってナチスは悪かったとしても、ソ連と戦ったドイツ国防軍には理がないわけではなかった、という主張をドイツの数人の歴史家が主張し、他の歴史家たちによって厳しく批判された。実際はナチス党だけでなくドイツ国防軍も様々な犯罪行為に加担しており、ソ連の虐殺との比較はドイツの戦争の擁護であり、ひいてはナチスの犯罪の相対化につながるとみなされたのだった。

菅元首相の発言は、少なくともそのような相対化を目指した発言とはいえない。ヒトラーの弁舌がドイツを破滅に追いやったことへの危惧から、維新の会の政治に反対する立場として、橋下弁護士の弁舌に同様のものを感じとった、ということだろう。

そのような危惧が妥当かどうかは論者の立場によって分かれるだろうが、これは論評の範囲内といえるだろう。少なくとも党が前面に出てきて対応する問題とはいえない。

ところで、「国際的にご法度」なことを避けたいという維新の会の考え自体は正しい。維新の会に限らず、あらゆる政党人は当然国際感覚を持つべきだからだ。しかしそうであるなら、まずするべきは、ヒトラーやナチスを肯定的に扱うような発言を批判し、維新の会であれ立憲民主党であれ、自分たちの政党がナチスにならないために注意を払うことだろう。

ナチスやヒトラーは確かにデリケートな問題で、軽々に発言してよいというわけではない。しかし一方で、腫れ物に触るように全く触れてはいけないというのもまたバランスを欠いている。負の歴史をしっかりと見つめることで、現在への教訓になるからだ。その意味で、政治家もメディアも、正しい国際感覚を身につけておくべきなのだ。

2017年、「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言した麻生太郎財務相(当時)の発言を、当時維新の会の代表を務めていた橋下氏は「憲法改正論議を心してやらなければいけないというのが(発言の)趣旨だったのではないか」と擁護した。本来はこの発言こそ「国際的にご法度」なはずだったのだ。今回攻撃されたのは橋下氏自身なので強く反発するのは理解できるが、過去の発言との重さの違いの整合性は問われるだろう。

また、ある維新幹部は、「立民が逃げ回るならば党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」と述べたという。国際感覚では、こうした発言こそナチスの突撃隊のような準軍事組織を想起させるものであり、「ヒットラー発言」への批判をしたいなら絶対にしてはならないコメントだろう。

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