そして私が定点観測してきた数百に及ぶ、熱心な参政党支持者の人々は、驚くほど政治的に無色であり、むしろ参政党支持以前には政治自体に関心がほとんどないような、政治的免疫が全く無いような人々が多い。でいて自然食品や有機野菜などを好んで摂取する、消費者意識の高い比較的富裕な中高年や、自分の子供に食の安全を提供しよう思っている女性層が、あまりにも、驚くほど多い。
それまでヨガ教室に熱心に通い、自然食品を愛好し、個人経営の自然派喫茶店が行きつけである、とフェイスブックに書いていた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化されシェア・投稿しだす。それまでインド等の南アジアを放浪し、自然の偉大さや神秘に触れる感動的な旅行記を寄稿していた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化され...。このような事例は観測するだけで山のようにあるし、私の周辺にも極めて多い。そして一様に、参政党支持以前は、政治的に全くの無色透明であり、選挙にも全く関心が無いといった人々ばかりなのである。
彼らは政治的なリテラシーをほとんど持っていない。参政党のオーガニック信仰の後に必ず付随される従の部分、つまり「憲法9条改正」だの「外国による侵略の危機」だの「太平洋戦争の肯定」などの主張に触れても、それが「一般的にいうところの右なのか左なのか」という鑑別基準すら持っていない場合が多い。
参政党は徹底的に日の丸を隠す。保守派の集会にあるように、開会式で君が代を合唱したりはしない。如何に政治的リテラシーが低くても、それをやったら「極右」などと不当なレッテルをはられることを知っているからだ。参政党は新興の保守政党が必ずやる、「国旗掲揚」「国歌斉唱」をやっていない。その主張が右なのか左なのかも良く分からない人々にとって、「国旗・国歌」の記号さえなければ、それはもう全然「右」とは見做さない。
よって参政党支持者の大きな部分は、政治的免疫が絶無の無党派層を中心とし、さらにその中でも消費者意識の高い、中産・富裕層を中心としたオーガニック信仰によるものである。それが結果的に、「混じりけのない純粋なる何か」の延長としての純血主義、国粋主義に繋がったとしても、そもそも彼らは国粋主義とは何なのか、その言説が悪い意味で何を意味するのかの判断基準を持っていない。従の部分の保守的要素は、主の部分であるオーガニック信仰さえ受け入れられれば、まずすんなりと受容される。
勿論、参政党の従の部分、つまり強い保守的要素に大きく魅かれて支持を決定した人々もそれなりに存在する(なぜならこの主張は、ネット保守の世界観におけるテンプレートだから)。しかし参政党の動画視聴者が競うように「友人や家族に拡散」しているのは、保守要素ではなく、食品添加物や人工甘味料やがん情報(発がんの原因について)や、コンビニ食品、加工品、砂糖、小麦、食肉の危険性と、そういった危険性を伝えまいとする国際金融資本(ユダヤ系を含む)による情報操作、ワクチンを巡る壮大な陰謀などの、オーガニック信仰に大なり小なり関連する動画である。
彼らには驚くほど「ネット保守」のテンプレ的言動が見られない。朝日新聞が日本のメディアの中でどのような立ち位置にあるか。あの戦争とはどのようなものであったのか。基礎知識を全く持っていないように思える。だからこそこうした保守要素に微温的に共鳴はするも、特定のリベラルメディアの社名を名指しした呪詛や、リベラル系野党や議員個人への激しい攻撃というのが殆ど見られない。
前提知識が無いから攻撃の仕様がないからだ。ただし、全くの「無菌状態」の中に従としての保守要素が混ぜられるので、面白いようにゼロ年代初頭に使いまわされた「ネット保守的世界観」の入口に立っていく。但しそれはそこまで強烈なものではない。
「オーガニック右翼(保守・右派)」の特筆するべき点はこれである。こういった人々が、参政党支持の主力であることはほぼ疑いようがない。彼らの名誉のために言っておくと、オーガニック信仰をしている人々が全員政治的免疫が無く、歴史や社会に対するリテラシーがない、とは言っていない。そのような人々が多く観察されるようだ、と言っているだけだ。また私自身、有機農法や有機栽培を否定しているわけではない。寧ろそういった方法で販売される農産品を好む方だ。だがそこに「ニセ科学」が執拗に入り込むのは断固として認められない。
私と神谷宗幣氏―「ONE PIECEのような政治をしよう」という謎の名刺
最後に、本稿冒頭で記した私と神谷氏の邂逅について書く。私が神谷氏に初めて出会ったのは、2013年のことであった。正確には約9年前である。このころ私は単著を複数出し、某保守系CS放送局でレギュラー番組を持ち、前衛漫画雑誌『ガロ』の版元として著名な青林堂から刊行されていた保守系雑誌『JAPANIZM』の三代目編集長をやっていたころで、保守業界に若手としては確固たる基礎を築きつつあった。