取材をすることで相手に情が移ってしまい、筆が鈍るので取材を控えるという人もいる。小説家やコラムニストならそれも許されるだろう。だが、私には「情が移る自分の弱さ」を感じるためにも取材が必要なのだ、という当たり前の話にしかならない。
本書を読んで思う。視る力を鍛え、文章に力を与える取材はあまりにもコストがかかり非効率的だ、と。苦労する取材をせずに、ある立場から読者にカタルシスを与える文章や評論を書き続け、しかも売れるのならば、そちらの道は「わかりやすく」効率的だ。私が頭を抱えてしまうのは、「わかりにくい」現場や人間を知るためには無駄な労力をかけなければならない、という価値観を持っていることに理由がありそうだ。
<本誌2020年9月1日号掲載>

【関連記事】ケント・ギルバート新著『プロパガンダの見破り方』はそれ自体が「陰謀論」
【関連記事】話題書『ネットは社会を分断しない』は、単なる「逆張り」本なのか?