チンギス・ハンは中華的英雄?奪われた陵墓の数奇な運命

2015年7月30日(木)17時30分
楊海英(本誌コラムニスト)

 1911年にモンゴル高原ウルガ(現ウランバートル)の政治家たちが清朝に対してモンゴル国独立を宣言。その際に、内モンゴルに残されたオルドスのチンギス・ハン陵をモンゴル国に移転させて新生国家のシンボルにしようとした。清朝を倒した中華民国は内モンゴルのモンゴル人を支配下に留め置くために軍隊を派遣して遺品類を差し押さえた。

 その後、中国大陸に進出した日本軍は遺品類の精神的価値に気付き、39年にチンギス・ハン陵を自らの支配領域に動かそうとする。日本軍の行動にモンゴル人も協力する姿勢を見せたので、中華民国は日中戦争全体に影響を与えかねないと危惧。チンギス・ハン陵をオルドスからはるか離れた甘粛省の奥地に移して隠した。

 日中戦争後、国共内戦に敗れた蒋介石総統がチンギス・ハンの遺品と共に台湾に渡ろうとしたところ、中国共産党に横取りされてしまう。諸民族を「解放」した共産党政権は遅々として神聖な遺品をその子孫たちに返そうとしなかった。54年になって、チンギス・ハン陵はようやく中国人からオルドスのモンゴル人の元に帰還できた。

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 中国政府は「チンギス・ハンはヨーロッパまで遠征した唯一の中国人」「中華民族の偉大な英雄」と喧伝して、統治下のモンゴル人を懐柔しようとしてきた。かつて魯迅は「チンギス・ハンが大帝国を建立した頃、われわれは彼の下僕だった事実をどう解釈するのか」と中国人の妄想を諭そうとしたのだが。

 チンギス・ハンが誰にとって英雄なのかはともかく、彼に憧れて訪れた外国人観光客の夢を打ち破る政治的な行為はあまりに悲しい。

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