ISIS事件で問われるソーシャルメディア・リテラシー

2015年2月4日(水)13時56分
瀧口範子

 従って、ここで試されているのはわれわれのメディア・リテラシーであると意識した方がいいだろう。

 今回も、人質殺害のセンセーショナルさに挑発されて、その画像が無数にシェアされた。そして、話題性と震撼がシェアされるごとに倍々ゲームで膨らんでいったのだが、これはISISの思うつぼだっただろう。彼らのマーケティングにまんまと乗せられて、彼らの手足として利用されたのだということを、シェアした人々は気づいただろうか。

 ツイッターなどのソーシャル・ネットワークにおいてのメディア・リテラシーは、対象者に対する自分の立ち位置、内容の妥当性、シェアすることの意義、シェアしたことがもたらす結果といったすべての段階で、自分の判断力を駆使する必要がある。考えなしにただニュースを拡散するのは、メディア・リテラシーがゼロの行いだ。

 シェアは一時的なもので、すぐに消えると考えるだろうが、インターネットにはさまざまな記録が残る。人々がサイトに残したリンクが多ければ多いほど、後に検索で上位に表示されることになる。毎月世界で2億8400万人ものツイッター・ユーザーがいるから、自分1人くらい何をツイートしても大丈夫だろうと思うのは考えが浅い。そういうあなたが、まさにISISのマーケティングのターゲットなのだ。今回のような事件から経験と学習を積んでメディア・リテラシーを高め、そうした迷惑行為を減らしていくことが急務になる。

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 人質事件のツイートがピークにあった時に、「殺りくのビデオをシェアするな。ISISのゲームに乗ってはいけない。それよりもケンジが成した業績シェアしよう」と呼びかけたBBC記者のジェームス・ロングマン氏のように、重要なタイミングで冷静な判断力を働かせる人がもっと増えて欲しいと思う。

 意見を交換したいのならば、ハッシュタグで議論に参加する。思いを伝えたいのならば、画像なしに言葉だけをツイートすればいい。

 今後ソーシャル・ネットワークは、もっと複雑な情報操作の場と化していくはずだ。事件のたびに学習し、判断力を養わなければならないと思う。

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