日本の会社はなぜ「ブラック企業」になるのか

2013年3月5日(火)15時53分
池田信夫

 このごろ「ブラック企業」がよく話題になる。私の運営するウェブサイト、「アゴラ」でも、今週はブラック企業についての記事が多くのアクセスを集めている。ブラック企業とは、かつては暴力団の企業舎弟などをさす言葉だったが、最近は社員を酷使して自殺に追いやったり過労死させたりする企業のことだ。

 ブラック企業が話題になったきっかけは、居酒屋チェーン「ワタミ」の女性社員が自殺した事件だろう。昨年、この事件が労災に認定されたとき、ワタミの渡辺美樹社長が「労災認定の件、大変残念です。労務管理できていなかったとの認識は、ありません」とツイッターでコメントして「炎上」した。彼女は早朝5時までの勤務が1週間続き、残業は月140時間に達していたという。

 このようにブラック企業に勤務する人は、会社よりも自分を責めて精神的に追い込まれる傾向が強いという。ワタミの事件でも、自殺するぐらいなら会社を辞めればいいのに、と思うが、彼女にとっては会社の外の人生は考えられなかったのだろう。このように会社に骨を埋めるという意識が強く、勤勉で責任感が強いことが日本企業の強みだった。

 こういう働き方は、ブラック企業に限らない。長時間残業させて時間外手当を払わない「サービス残業」は、大企業でも普通にみられる。ただ大企業の場合は、正社員の雇用は保証され、年功序列で賃金も上がることが約束されている。日本のサラリーマンが命令されなくても長時間働くのは、それによって雇用を保証され、年功序列で昇給するという「暗黙の契約」があるからだ。

 こうした労働倫理は日本人に深く植えつけられている。それは古くは江戸時代にさかのぼる。農民が土地にしばりつけられていたので、狭い土地を徹底的に有効利用する労働集約型の農業が発達した。普通は農業技術が発達すると人間の労働を牛馬で代替するようになるが、江戸時代には逆に人間が牛馬を代替したのだ。これを速水融氏は勤勉革命(industrious revolution)と呼んでいる。

 これは資本集約的な機械の導入による産業革命(industrial revolution)と対照的に、労働集約的な「勤勉」で生産性を上げるものだ。それを実現するには労働者が自発的に長時間労働し、怠け者は村八分にされるしくみが必要だった。それが300年ぐらい続いたため、勤勉革命の生み出した「空気」の同調圧力は、現代の26歳の女性社員の心にも埋め込まれているのだ。

 だから日本のサラリーマンは、会社がきらいだ。小池和男氏の調査で「私の価値観はこの会社の価値観とまったく同じだ」と答えた社員は日本では19.3%だが、アメリカでは41.5%。「いま知っていることを入職時に知っていたら、もう一度この会社を選ぶ」という答は、日本が23.3%で、アメリカが69.1%だった。このような結果は、日米の企業についての多くの調査で共通にみられる。

 ブラック企業は、このような日本のサラリーマンの習性を利用して際限なく残業させ、その対価としての雇用保証をしない。業績が悪くなると、降格人事や配置転換で退職を強要する。つまりブラック企業は、雇用保証はないが職務内容が明確な欧米型雇用と、雇用保証して長時間労働させる日本的雇用の「いいとこどり」をして、労働者を食い物にしているのだ(今野晴貴『ブラック企業』)。

 しかしこれは特殊な企業だけの問題ではない。たとえば電機産業の業績はどこもボロボロで希望退職を募集しているが、これは終身雇用という暗黙の契約を会社側が結果的に破っていることになる。多くの日本企業が、もう終身雇用の約束は守れないので、意図せざるブラック企業になっているのだ。

 だからブラック企業を指弾するだけでは、問題は解決しない。日本の企業を支えてきた長期的関係に依存する雇用慣行を改め、仕事のなくなった労働者を金銭的な補償で解雇できるルールを整備するしかない。政府は労働者が新しい会社に再就職することを支援するしくみを整備する代わりに、経営の悪化した会社は守らないで破綻させるべきだ。企業ではなく個人を守るしくみに変えることが、ブラック企業を根絶する対策である。

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