たかが粉ミルク、されど粉ミルク

2013年3月11日(月)07時26分
ふるまい よしこ

 3月1日から香港で施行された条例が、中国で大きな論争を引き起こしている。いや、正確に言えば論争はほぼ「香港vs中国」状態に近く、このまま民間感情がヒートアップすれば、経済的な資源を大きく中国に頼っている香港に大きなダメージをもたらしかねない、とわたしは懸念している。

 これは正確には既存の「進出口(一般)条例」の2013年版が改正されたものだ。これまでなかった「許可証を持つ者を除き、粉ミルクの輸出を禁ずる。年齢16歳あるいはそれ以上の人物が、24時間以内に1.8キロ、即ち二缶を超える粉ミルクを香港外へ持ち出してはならない」という条項が加えられ、実際に施行初日の1日には香港から中国へ向かう税関で香港人8人を含む10数人がこれに違反したとして拘束され、粉ミルク50缶あまりが押収された。中には一人で15缶を持ちだそうとした人もいたという。

 だが、なぜ「粉ミルク」なのか? それも酪農国でもない香港がそんなに「粉ミルクの持ち出しにやっきになるのか? そして、どうして粉ミルクを15缶も持ち出す人が出てくるのか...

 そう、香港は酪農国ではない。香港は消費される農産物のほとんどを輸入に頼っているが乳製品、特に今回の規制の対象になった幼児用粉ミルクはほぼ100%輸入に頼っている。

 しかし、ここ1〜2年ほど、乳幼児にとっては必需品の粉ミルクが手に入らないと、親たちの間から悲鳴が上がっていた。特に、中国・深センと鉄道でつながる沿線で、特に深センから近ければ近いほどその不足は深刻になり、また粉ミルク不足地図がその鉄道に沿う形でだんだん市内へと向かい、約63万人が暮らしている最大のベッドタウン、沙田の複数の大型スーパーで入荷のたびにあっという間に売り切れ、その後しばらく品切れが続くいう状態になり始めた。

 一方で香港から深センに向けてミルク缶を抱えて山のような荷物で抜けていく人たちの姿が珍しいものではなくなり、明らかに香港の市場から姿を消した粉ミルクは大量に中国へ中国へと流れこんでおり、それをいかにしてストップさせるか、に人々は頭を悩ませてきた。その結果がこの条例改正だったのだ。

 だが、中国からの反応は強烈だった。「非人道!」「たかが粉ミルクじゃないか、 何をムキになっているんだ?」という声が上がり、さらには経済誌「新世紀」編集長すら「世界と中国を結ぶという立場にある香港の立身の基本はどうなった?」と怒り、元グーグル副社長の台湾人IT企業家も「香港よ、恥を知れ!」と英語でつぶやき、ネットを中心に著名オピニオンリーダーたちを巻き込んで激しい非難の渦が巻き起こった。

 そこでは明らかに、たかが粉ミルク、されど粉ミルク、だった。

 客観的に見れば、牧場のない香港からわざわざミルクを買い占めなくても、広い牧場を持つ中国の酪農業があるではないか。逆に言えば、なぜ「たかが粉ミルク」に中国側がここまで怒りを爆発させるのか。国内向け主張が飛び交う国産マイクロブログ「微博」を眺めながら、怒りの声を上げる人たちが「実はある問題を避けて通っていること」が透けて見えた。

 彼らはそこではっきりと「なぜ」自分たちは香港から持ち込まれる輸入粉ミルクが必要なのかという理由を語ろうとしていなかった。その「語らない理由」は見ているとよく分かる。まず、中国本土の人たちが集中する「微博」では誰でもが知っている「言わずもがなの常識」だから。そして今さらそれを持ちだしても、「何が変わるわけではない」という絶望感やあきらめから。さらにはそれを口にすれば、堰を切ったような不満や不安が続くだろうから。「微博はどこの誰が見ているかわからない、面倒なことに巻き込まれたくない」という思いが透けていた。

 人々の「言わずもがなの常識」とは、2008年9月に暴露されたメラミンミルク事件のことだ。あの事件以降、国内の乳業メーカーといえば、人々が絶望感とあきらめ、そして不満や不安を煮えたぎらせる対象になっており、信頼には値しないとされている。その不信感の根深さこそが、逆に香港のミルク持ち出し規制に対する怒りのエネルギーになって吹き出したのである。

 メラミンミルク事件は、個別の酪農農家から集められた搾乳に対し、「(メーカー買取基準まで)蛋白質濃度を高めることができる」と称して工業原料のメラミン(メラミン樹脂の材料)が混入されたことが発端だった。そこから製品化されたのは乳製品全般に渡り、乳幼児用の粉ミルクだけではなかったが、栄養分のほとんどをミルクに頼らざるを得ない乳幼児たちの被害は甚大で、年端もいかないのに重い腎臓障害を患ったり、それが原因で亡くなったとされる子供がいることをメディアが暴露したのである。

 その後、幼い子供を抱えた、多少金銭的に余裕のある親たちは輸入ミルクに殺到した。海外渡航先から買って帰ってくる人もいたが、特に陸続きで簡単に海外製品が手に入る香港はその供給源として注目され、香港各地区の店舗から買い占めた缶ミルク1缶につき手数料を払う形で買い取り中国国内の店舗に運び込んだり、ネットで販売する業者も現れ、その結果香港全体で粉ミルクが枯渇状態に陥ってしまったのである。

「香港はなんでも物があるじゃないか。足りなければもっと輸入すればいい! それが市場というものだ。市場がすべてを解決してくれる」という声も飛び出した。だが、香港はもともと徹底的な市場主義である。なのになぜ粉ミルクが品薄になったのか――それはカナダやニュージーランド、あるいはオランダといった主要輸出元が乳製品に対して、品質と価格を守るために「生産クォータ」(生産制限)制を採っているからだった。EUではこのクォータは2015年に撤廃されることになっているが、現状としては世界中に出回る粉ミルクを含む乳製品には限りがあるのだ。

 実は日本製ミルクもかつては「同じアジア人の作るミルク」と、香港でも中国でも大人気だった。だが、まず2011年の3・11で福島原発事故後に放射能疑惑が起こった。そしてその後実際に日本メーカーの粉ミルクがセシウム含有騒ぎで回収されたことが不安を倍増させた。さらに昨年夏になって、日本製の粉ミルクがWTOのヨウ素含有量の基準を満たしていないことが分かり、香港で販売停止処分に追い込まれた。その結果、今では日本製粉ミルクを求める人が激減した。

 つまり「粉ミルク」という限りあるパイを、人口わずか700万人の香港が13億人の人口を抱える中国と奪い合う形になり、人海戦略を得意とする中国に「してやられ」、背に腹を代えられない香港側が激怒したのである。

 ただ、香港側も中国国内のミルク事情はよく理解している。かつてメラミンミルク事件で腎臓障害を負わされた我が子への保障を求めて立ち上がり、請願活動を主導した趙連海氏が当局に拘束された事件も大きな関心を呼んだし、香港人は積極的に趙氏らへの募金活動にも乗り出してきた。今回「一人あたり2缶」という制限になったのもそれを考慮した上での「人道的かつ妥当な判断」だった。逆に言えば一度に10缶20缶を持ち込む人たち(業者)への規制という形態だったのである。

 だが、今この瞬間に子供を抱えて背に腹は代えられない親たちにとっては、香港からの粉ミルク制限はひたすら不安と恐慌でしかない。彼らの多くは外国ブランドの中国国内産ミルクですら信用していない。かつてのメラミン事件は酪農家が企業お抱えの牧場ではなく個別生産だったために、少しでも高く売ろうとメラミンを混入したとされている。そんな搾乳方法が今も続いているのか、それとも本当に業界関係者や政府が言うように是正されたのか、消費者には確認するすべがこの国にはまったくないのである。

 そうして不安に駆られた人々は香港へ罵声を浴びせかけた。さすがに全民香港批判に発展しかけた様子を見て、慌てた中国当局はちょうど今月初めから開かれている全国政治協商会議のために全国から集った記者たちを前に、報道担当者が「中国国産ミルクの99%は合格品だ」と発言してなだめようとした。が、逆にその「高らかな宣言」が逆に「残りの不合格1%がどこにあるのか分からないのに安心して飲めるか!」と集中砲火を浴びてしまった。

 問題は明らかに中国国内の矛盾にある。当局や権力とつながることで商売の安泰が図られる傾向があるために、「もうけ一筋」に走る企業。そしてそれをかくまうことで、税収など持ちつ持たれつの関係を維持できる当局者。「消費者の声」は大事にされるというが、実際に不満を述べる消費者の声はもみ消され、称賛の声だけが宣伝道具に仕立て上げられる。品質に不満を感じても、消費者が訴え出ればそれにきちんと対応してくれると信頼に値する機関もない。政府はまだ、政府の関係者が「大丈夫です。安心です」と言えば事足りる、と考えている。

 中国国内で暮らす人たちはそんな中でだんだん「自分の身を守るのは自分」と判断し、自らの努力で生きるための「道」を探し求めている。特にここ10年ほど、海外への門戸も開かれ、実際に海外文化や情報に触れてその「道」を開ける手段を手にし、財布の中身にも余裕が出て「生活のレベル」をコントロールできるようになってきた...少なくとも都会で暮らす人たちの意識にはそうやって「自分の生活を守る」という考え方が根付いている。

「ミルク持ち出し規制」は自由社会の香港がその「道」を断った、と人々の目に映った。彼らには中国よりも物資が豊富で海外製品の輸入も日常化している香港で、海外ブランドの粉ミルクが枯渇するなど想像もできない。彼らにとっては「市場が解決してくれる。それが香港が奉ずる自由貿易じゃないか」と信じて疑わない。

 一方、香港人はすでに日頃から大量に押し寄せる中国人に辟易している。昨年初めにも「香港のモブ活動に思うこと」でも書いたが、70年代、80年代に香港に生まれ、育った人たちには街で「香港市場あさり」をする中国人に対する嫌悪感は根深く、ちょうど粉ミルクの枯渇は彼らの世代の子どもたちを直撃した。

 前掲の記事から1年あまり。香港における中国社会への憎悪は軽減するどころか、このミルク事件など具体的な小競り合いを通じて増大している。今回の措置で香港側は一息ついたものの、逆に中国国内の人たち、まだ香港に行ったことのないような人たちにもそれが「敵視」として認識されてしまった。それを香港の嫌中派が「文句があるなら自国の乳製品メーカーに言え」とネットで煽る。それは民主社会ではある種正論だが、現在の中国では前述したように「常識」「絶望感」しかなく、煽られたほうはまた激昂する。それが繰り返されている。

 中国の「絶望感」と香港の「嫌悪感」。この両方の地を知るわたしとしては、これがこのまま「たかが粉ミルク」で終わるとはどうしても思えない。

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