「憲政」という敏感詞

2013年1月20日(日)22時45分
ふるまい よしこ

 ふと思い立って、中国の国産マイクロブログ「微博」の検索欄に「憲政」と打ち込んでみた。すると、「関連法律、法規及び政策により、『憲政』の検索結果は表示できません」と出た。やっぱりというか、まぁ予想された通りというか、「憲政」という言葉は、中国の2013年最初の「検索禁止用語」、いわゆる「敏感詞」になってしまった。

 念のため書き添えておくと、ここ1年余り、中国の悪名高い「敏感詞」の舞台は、一般の検索エンジンよりも微博上に移っている。これはたぶん、現在の中国社会では動態ツールの微博が、静態のウェブサイトの情報力や伝播力、あるいは話題作りにおいて、すでに大きく上回り、発言の場として重要視されているためだろう。実際に検索エンジン「百度」で「憲政」を打ち込むと、要人のスピーチを中心に検索結果が並ぶ。

 微博で「憲政」が「敏感詞」になったきっかけはもちろん前回この欄で触れた、「南方週末」紙の新年特別号原稿の大幅改ざん事件だ。事件は編集部員にも知らされずに行われた改ざんという、「起こったこと」に対しての処分――直接改ざんの手を下した黄燦編集長の辞職という形で事実上収束したが、なぜ「憲政の夢」が削除されなければならなかったのかについて、面と向かって語る人はあまりいない。

「憲政」が「敏感詞」になっていることはつまり「討論してはならない言葉」というサインだし、この「憲政」が原稿改ざんにおいて「触れてはならない」ボトムラインを超えてしまったことを意味する。だがなぜ、南方週末編集部はこの「憲政」という言葉、この地雷を選んだのだろう。もし編集部がそれが地雷だと最初から知っていたなら、ただでさえ注目される「新年の言葉」にこの言葉を選ぶはずがない。

 実は、日本ではこの事件の影であまり伝わっていないが、この事件と並列して中国共産党内の改革自由派が運営する雑誌「炎黄春秋」のウェブサイトが今年1月4日から突然開けなくなった。その後、同誌のウェブサイト解説許可文書が2010年8月に期限切れとなっていたためだと同誌関係者は説明したが、ならばなぜ2年以上も前に期限切れになっていたサイトがここにきて南方週末紙事件発生とともにアクセス不能になったのかの理由は伝えられていない。一部では同誌が掲げた「新年の言葉」が「憲法は政治体制改革の共通認識である」だったことが理由ではないか、と言われた。だが、同誌ウェブサイトはすでに何事もなかったように再申請を終え、再開されている。

 ただ確かに言えるのは、「憲法」や「憲政」がこれまでなんども語られてきた「民主」や「改革」に比べて、改革派と言われる人たちが2013年を迎えるにあたって、よりホットなキーワードだったということだ。だが、ホットだからこそ「取り扱い要注意」で、それに触れてしまったのが「南方週末」、そして共産党内に太いパイプと支持者を持つ「炎黄春秋」は騒がず慌てず解決方法を探ったということか。

 それにしても、ここでなぜ「憲法」に注目が集まったのか。

 まずそれは昨年11月に中国共産党総書記に就任したばかりの習近平が、12月初めに「現行憲法公布30周年記念式典」に参加した際にスピーチを行ったことと関係していると思われる。10年ぶりの新しい総書記の言動には当然ながら今後10年間(あくまで予定だが)の中国を読み解くためのヒントがあるのではないかと、人々はその一挙手一投足に注目している。就任後偶然巡ってきた「憲法公布30周年」でも、それはやはり公開の場での発言は人々の耳目を集めた。そこで習近平は明らかに「今後の治政」を意識したとみられるスピーチを行い、「憲法の生命はその実施にある」として、以下のように述べた。

「第一、正確な政治方向を維持し、中国の特色ある社会主義政治発展の道をまっすぐ歩むこと...(略)...その政治的発展の道における中核的思想、主な内容、基本要求はすべて憲法のうちに確認、体現されており、その精神は実際に緊密に関係し合い、相互に貫かれ、相互に促進するものである」

「第二、法治国家の基本的方法を実現し、社会主義法治国家の構築を急ぐ。憲法は社会主義法制の基本的原則を確立し、中華人民共和国が法に基づいた治国を行い、社会主義法治国家を構築し、国家の社会主義法制度の統一と尊厳を維持することを明確に規定している」

「第三、人民の主体的地位を堅持し、公民の利益の享有と義務の履行をきちんと保証する。公民の基本的権利と義務は憲法の核心的な内容であり、憲法は一人ひとりの公民が権利を享有し、義務を履行するための根本的保証である」

「第四、党の指導を維持し、党の指導方法と執政方法の改善にさらに力を注ぐ。法による治国とはまずは憲法による治国であり、法による執政とは憲法による執政が鍵となる」

「党は人民による憲法と法律の制定を指導し、党は人民による憲法と法律の執行を指導し、党自らが必ず憲法と法律の範囲内で活動を行い、党による立法の指導、法執行の保証、先頭に立った守法を実現させなければならない」

 たぶん、ここで初めて中国の「憲法概念」に触れた方も多いのではないか、と想像するが、新しい中国共産党トップによるこのようなスピーチから何を読み取ることができるか。この「現行憲法公布30周年記念式典」直後に新年特別号の「新年の言葉」を練り始めた「南方週末」編集部が、このような直近の習近平の「法に基づいた治国」の言葉に夢を抱いとしてもなんの不思議もない。

 そして、同紙では「新年の言葉」を「中国の夢 憲政の夢」に決め、同紙論説員の戴志勇氏がそれにあわせて以下のような文言を含む記事を執筆した。

「今日、我々は物質の豊かさを夢見るだけではなく、さらに精神的な充実を求めている。我々は国力の強盛を夢見るだけではなく、さらに国民の尊厳を求めている。新しい民と新しい国、滅亡からの救いと啓蒙、誰もが誰からも離れることができず、また誰もが誰をも押し倒すことはできない。そして憲法はこのような美しい夢の根本なのだ」

「憲政を実現し、権利を守ることで人々は初めて日々の彩りを楽しむことができる」

「憲政を実現し、権力を制約し分権すれば、公民たちは大きな声で公権力を批判することができる」

「憲政の大きな夢を実現すれば、一人ひとりが個人の美しい夢を見ることができる。それは我々が手にしたものから始め、今この時の生活を守ることから始め、重い荷物を子孫に残してはならない」

「夢を実現するには、自然に先賢の知恵を借り、古人の信仰や習俗、情感を理解する必要があるだろう...(略)だがそれは復古を意味するものではない。古人は今日求められているすべてをもたらすことはできない。ただ、単純に先輩を毀損するのではなく、落ち着いてそれを吸収し改善することで、中華文明に新しい花を咲かせ、新しい結果を実らせればよい」

「夢を実現するには、自然に世界の経験を吸収しなければならない。だからこそ真摯にギリシャの民主を、ローマの法治を見つめ、英米の憲政を参考にし、現代の科学テクノロジー文明に追い続けなければならない...(略)だがこれもまた、西洋文明の優等生になるのではなく、西洋には西洋の変遷の軌跡があり、やはり我々が今日求めているすべてを直接与えてくれるとは限らない」

「中国人とはもともと自由人だった。中国の夢とはもともと憲政の夢だった」

「憲政の下において国は初めて強盛を維持でき、憲政の下において人民は初めて真に強大になれる。憲政の夢の実現によって初めて外に向けて国の権利を主張でき、国家の自由を維持できる。そして初めて国内で民権を主張し、人民の自由を維持できる。国家の自由とは最終的に人民の自由に立脚し、一人ひとりがその口でその心を語り、一人ひとりが心に美しい夢を描くことができることに立脚する」

「万物はあっという間に朽ちるが夢は永遠に残る。万物は生まれるが夢は消え去ることはない。夢こそ生気のたまものだ。たとえあなたが100回失敗しても101回目があなたの心に不死の希望を灯してくれるだろう」

......だが、この「中国の夢」は新年の最初に潰えてしまった。まるで国のトップが語る「憲法」と庶民が期待する「憲政」は全く違うのだ、とでもいうように。

 その後、17日発行の「南方週末」紙は「特別訂正」という小さな記事を載せた。そこでは新年特別号に掲載された改ざん記事の中の三つの歴史的誤記を訂正した。そしてこう書き加えている。

「新聞の間違いは永遠に『白い紙に黒い字』的なもので、新聞の編集出版の各段階においてそのルールやプロセスは永遠に尊重され、遵守されなければならない。我々は今、これまで以上にこの点を意識している」

 一見、先に指摘した三つの誤記に対する反省のようにも読めるが、この「白い紙に黒い字」とは「きちんと文字となった憲法」を意味するようでもある。そして「ルールやプロセス」とは、その憲法のもとで行われる政治のさまざまな段階にも求められる。それをこれまで以上に「尊重、そして遵守」することを意識する「我々」とは、ジャーナリストである「南方週末」編集部員なのか、それとも今回の粗暴な改ざんを目にした庶民なのか。

 そして「敏感詞」とされてしまった「憲政」はいつそこから解き放たれるのだろうか。

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