ベネディクトが武士階級に求められるストイックさと厳格な自己抑制に焦点を当てたことで、新渡戸が以前から概念化していた武士の倫理観が補完され、感情の抑制と義務に基づく行動様式を日本の武士としてのアイデンティティの核心とする学術的な共通認識が定着した。
このように、文化人類学的分析とそれ以前の文化的解釈が融合したことで、西洋におけるサムライの道徳哲学の理解をめぐり、もっともらしい権威を帯びた学術的基盤が築かれることとなる。
しかし、ベネディクトの分析手法には、サムライ文化に対する理解を阻害する重大な限界があった。この研究論文は、日本を訪れた経験のないベネディクトが戦時中に執筆したという事情により、その内容は二次資料や移住者の証言に大きく依存したものであった。
さらに問題なのは、この研究が「日本文化」を普遍的なものとして捉えていた点である。さまざまな時代にまたがるサムライ文化の複雑な進化が、時間的推移を伴わない単一の様式として一括りにされてしまったのだ。
フレデリック・クレインス(Frederik Cryns)
1970年ベルギー生まれ。京都大学博士(人間・環境学)。専門は戦国文化史、日欧交渉史。テレビシリーズ『SHOGUN 将軍』の時代考証を担当。著書に『戦国武家の死生観──なぜ切腹するのか』(幻冬舎新書)、『ウィリアム・アダムス──家康に愛された男・三浦按針』(ちくま新書)、『明智光秀と細川ガラシャ──戦国を生きた父娘の虚像と実像』(共著、筑摩選書)、『オランダ商館長が見た江戸の災害』(講談社現代新書)など多数。
『アステイオン』103号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
CEメディアハウス[刊]
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