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農業政策

「令和の米騒動」の背景にある「農政トライアングル」とは何か?...自民党・農協・農林省の結節点

2025年12月17日(水)11時00分
川口航史(慶應義塾大学総合政策学部准教授)
備蓄米を保管する神奈川県内の倉庫を視察した小泉農林水産大臣

2025年5月30日、備蓄米を保管する神奈川県内の倉庫を視察した小泉農林水産大臣(当時) REUTERS/Kim Kyung-Hoon


<コメ問題の起源は、戦後に形成された「流動的な構造」にあった...「3つの段階」と「4つの条件」について>


コメ問題と「農政トライアングル」

2024年夏以降、日本の「コメ問題」が注目を集めており、「令和の米騒動」は今も続いている。米価の高騰、コメの流通不足、農水相の辞任、備蓄米の大量放出など、この問題がテレビのワイドショーなどで頻繁に取り上げられることもあった。

報道の中で、農業分野やコメ政策における政策決定過程が、真に国民のためになっているのか、限られた範囲の利害関係者のための政策となっていないだろうかという、農政関係者に対する疑問が呈されることもあった。

こうした状況を理解する上で参考になるのが、佐々田博教『農政トライアングルの誕生──自己組織化する利益誘導構造 1945-1980』(千倉書房、2025年)である。

本書の題名にも入っている「農政トライアングル」とは、「自民党、農林水産省(1978年までは農林省)、農業団体(農協・農家)による三者が、互いの利益につながるような政治活動・政策決定」(本書3頁)を通じて形成する権力構造のことだ。

こうした政治家・官僚・業界団体間の結びつきは、政治学では「鉄の三角同盟(iron triangle)」とも呼ばれ、農業以外の様々な分野でも観察されている。この構造が、戦後日本農政の中枢にいかにして組み込まれていったのかを、丹念な実証と緻密な分析で明らかにしている。

戦後日本における「農政トライアングル」の形成過程

佐々田は「自己組織化」という概念を用いて、「農政トライアングル」の形成過程を3つの段階と4つの条件に分けて分析する。

第1段階は終戦から1950年代である。第二次農地改革によってほとんどの農家が農地の所有者となり、小規模な自作農となった。

しかし、小規模な経営を成立させることは難しく、農家が政府の保護を求める中で、農協が彼らを動員し、政治的影響力を増大させていく。つまり、「農村の均質化」と「農協による政治動員」という2つの条件がこの時期に整うことになる。

第2段階は1960年代を中心とする。農工間の格差解消を目指し、1961年の農業基本法を制定。米価決定過程において影響力を増した農林議員と農協からの圧力により、自民党の農業政策が保護主義的に変化し、農業者の選好と整合的になっていく。つまり、「保守政党と農村の密接な連携」という3つ目の条件がこの時期に整った。

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