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農業政策

「令和の米騒動」の背景にある「農政トライアングル」とは何か?...自民党・農協・農林省の結節点

2025年12月17日(水)11時00分
川口航史(慶應義塾大学総合政策学部准教授)

こうした状況下で、1969年からの総合農政を契機に、農林省も経済合理主義から転換し、積極的に保護主義的な政策を立案するようになり、4つ目の条件である「農林省による農業保護政策の積極的立案」が成立。そして1970年代初頭には農政トライアングルが完成した。

第3段階は1970年代以降である。第2段階までに導入された政策により農家・農協・自民党・農林省が、4条件の成立によって形成された権力構造を強化するような行動をとるようになっていく。

つまり、農政トライアングルは自己組織化し、保護農政がこの構造を強化し、それがさらなる保護政策を生んで循環していく、という自己強化的な権力構造として完成をみる。しかし、興味深いのは、こうした構造が「誰かが作為的に設計したものではない」という点だ。

佐々田は農政トライアングルを「利益誘導行為と因果効果の循環によって形成された流動的な構造であった」と指摘し、「その形成過程も(中略)1960年代初めに不完全な形で機能を始めて、1970年代初めになってより完全な形に発展したという漸進的な過程であったということも示唆される」としている(本書177頁)。

つまり、農政トライアングルは、誰かが意図的に作り上げたものではなく、時間をかけて形成されたものであり、その過程を見る限り、戦後日本農政の構造が他の形をとる可能性も十分にあった。

現代の「コメ問題」について考える上で、この視点は示唆に富む。なぜなら「農政トライアングル」の構成要素は現在、変化の途上にあるからだ。

著者によれば、農家は多様化し、農協の動員力はかつてほど大きくはない。また、自民党の農林族議員も以前ほどの影響力を持たず、農水省の政策にも保護主義一辺倒とは言い切れない柔軟さが見られるようになっている。

このように、農政トライアングル誕生の条件は崩れつつあるものの、その形成と同様にその解体もまた時間を要する可能性もあり、著者が指摘するとおり、「今後どのように展開していくのか注視していく必要がある」(本書195頁)のだ。

私自身も、農業者組織の形成や維持・発展の政治過程について研究し、『戦後日本農政と農業者──組織・動員・忠誠』(吉田書店、2025年)を執筆した立場から、本書には多くの刺激を受けた。とりわけ、農業者組織やそれを含む農政トライアングルのあり方が、戦後日本政治に与えた影響を考える上で、大いに示唆を与えてくれた。

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