新渡戸によるサムライの定義は表面的には一般的な解説という形式をとっているが、その裏には、武士の名誉観について欧米の読者に向けて、騎士道の伝統に寄せて日本の武士文化をわかりやすく伝えるという意図が働いている。つまり、新渡戸が提示したサムライの価値観の解釈は、西洋の思想的枠組みの影響を強く受けており、歴史的な正確さよりも文化的なわかりやすさを優先したものであった。
西洋の期待に沿って意図的に調整されたこの解説の仕方は、サムライ文化を外国人読者にも理解しやすい形で紹介するという点では効果的だったが、その代償として歴史的なニュアンスや時代ごとの特性が失われてしまった。
新渡戸の作品が後世に与えた影響は、日本の武士道精神に対する理想と、西洋の騎士道的美徳というロマン主義的観念とを力強く結びつけた点にある。
この統合によって、倫理的原則に忠実であることで常人の限界を超越した、準神話的存在としての武士像が決定的に定着し、以後近代に至るまで海外から見たサムライ理解の枠組みの土台を築くこととなった。
それから半世紀経った第二次世界大戦直後、文化人類学者のルース・ベネディクトの『菊と刀』が刊行されたが、これは、日本文化に対する西洋の学術的および大衆的理解を形成する上で、おそらく最も大きな影響を及ぼした一冊であろう。
ベネディクトの研究は、アメリカ戦時情報局の委託を受け、日系アメリカ人へのインタビューと日本に関する文献資料の分析に基づいて行われたもので、日本人の行動様式をアメリカ人に理解させるための文化人類学における初の体系的な試みであった。
ベネディクトの中心的な洞察である「恥の文化」と「罪の文化」の区別は、それまで単に異国的で不可解なものとされてきた日本文化を理解するために有効な概念的枠組みとされる。この枠組みでの分析によれば、日本社会は、ベネディクトのいう西洋キリスト教的な内面的道徳良心(罪)ではなく、外部からの評価や社会的評判の維持(恥)に基づく道徳体系によって機能していた。
この解釈において、サムライは恥の文化を体現する典型的存在とされ、その行動は名誉、義理、社会的立場といった観念によって一貫して支配されていた。
この二元的な解釈は書名自体に現れており、「菊」は日本の美的洗練を、「刀」は武士の伝統を象徴したものとなっている。ベネディクトの分析は、「義理」をサムライの美徳の真髄と位置づけ、それまでの武士道倫理を補強し体系化した概念として、特に大きな影響を与えた。
