アステイオン

サントリー学芸賞

なぜ毎日、賭博をするのか?...フィリピンの賭博者たちから見えた「世界に対する敬虔な態度」

2025年12月22日(月)11時02分
師田史子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教)
闘鶏

letter NHT-shutterstock


<「虫の眼」で賭博者たちを観察すると、独特な「感性」が見えてくる──第47回サントリー学芸賞「思想・歴史部門」受賞作『日々賭けをする人々──フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界』の「受賞のことば」より>


受賞のお知らせをいただいた時、驚きすぎて手が震えました。それから、予想だにせぬ質量の幸運が舞い込んできたことへ興奮しました。

私はフィリピンの賭博について研究しています。賭博者のやることなすことを調査して一体何の役に立つのかと、学生のころからずいぶん問われてきました。そのたびに私は、意義があるかは分からない、でも面白いからやっている、と答えていました。

まずもって、フィリピンの調査地で数字や鶏に賭け続ける人々の生き様や世界の捉え方が面白い。そして何より、フィールドワーク自体が面白い。人々に教わりながら賭け、負け、酒を飲み、また賭け、負け......。

繰り返しの日々を賭ける人々と過ごす中で、彼らの賭けを深掘りすることと、現代社会について考えること、さらにそこに生きる私たち人間について広く考えることが、どこかで繋がるのではないだろうかと考えるようになりました。

本書では、フィリピンの賭博を鳥の眼と虫の眼から描き出そうと企図しました。俯瞰で賭博を捉えた時、宗主国、政治家、犯罪シンジケート、大衆といった多様なアクターがせめぎ合い織りなしてきた長い経緯が浮き彫りになってきます。

今日の賭博産業の繁栄の背後には、賭けに欲望する人々と産業が生み出す金に欲望する人々の歴史的な共犯関係があり、それは現在進行形で駆動しています。賭博と国家と政治の抜き差しならない関係性をひもといていくことは実に刺激的です。

しかし、いままでの研究を通じて私が最も魅了され続けているのは、虫の眼から賭ける人々の実践を眺めることであり、彼らの現実に対する感性について考えることです。

本書の結論で私は、調査地の賭博者は自らの予想が裏切られるたびに現実に驚きながら世界と自己を相関し続け、その過程において世界に対する敬虔な態度を構築していく、と書きました。

世界は人間が予言できるほどに単純でもなければ、人間が制御できるほどちっぽけでもない。この世の根源的なわからなさを面白さに変換しながら生きる彼らからは、未来を先取りする現在を生きるのではなく、現在のためにいまの現実に足をとめることの美しさを学びました。

賜った名誉ある賞を元手に、私はこれから、何へ賭けることができるだろうか。貨幣と金融資本主義について、遊戯と依存について、動物と人間について、不可知性と呪術的思考について等々、賭博を糸口として思考を巡らせたい事象は山ほどあります。

この先も、調査地の人々が面白がってやることなすことに翻弄されながら、その面白さとの邂逅を常に契機として、人間臭い出来事について考えたいと思います。こうして次なる賭けに思いを馳せていると、自ずと心が震えてきます。


師田史子(Fumiko Morota)
1992年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(5年一貫制)修了。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。著書に『現代フィリピンの地殻変動』(共著、花伝社)。

古田徹也氏(東京大学准教授)による選評はこちら


日々賭けをする人々--フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界

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 師田史子[著]
 慶應義塾大学出版会[刊]

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