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ジャーナリズム

正しさを「証明する」のではなく「疑いたい」...新聞記者の仕事が「科学的」だと言える理由

2025年07月16日(水)11時00分
前田啓介(読売新聞記者)

それを知るためには、たとえば「戦争体験としては、まことにチャチだ。しかし、青春体験としては、私なりにまことに痛烈だった」という喜八の言葉が表象するものをたどっていく必要がある。

正しさを証明したいのではなく、むしろ正しさを疑いたい。武田さんが論考の中で、「現実のジャーナリズムは訂正が得意ではない」と指摘しているが、それはもしかしたら、自らが常に正義の側に立っていると考える"病"が原因となっているようにも思う。

ちなみに、本号で私がもっとも共感したのは、音楽社会史を専門にする渡辺裕さんのエッセイ「《たにし踊り》の旅」だ。渡辺さんはテレビ番組『探偵!ナイトスクープ』で、「たにし踊り」という薬学部で昔から踊られていたという踊りを知った。

同番組のHPを見ると、この回は1992年10月2日に放送されているので、渡辺さんは30年以上たっても忘れがたいほど印象的だったのだろう。渡辺さんはここから、例の国立国会図書館のデジタルコレクションを使って、この踊りについて調べ出す。

検索を繰り返し、薬学系の雑誌などをもとに、各地の薬学部で戦前から踊られていたことを確かめ、この踊りが戦争をきっかけに薬学部から医学部、さらに旧制高校などへと広がっていたことを突き止めた。満洲や南方などの戦線に召集された薬学出身者が、宴会などの座興で、この踊り踊ったことがきっかけのようだ。

これでも、まだエッセイの半分ほどしか紹介できていない(むしろ本題は後半だろう)。このエッセイの何にひかれるかと言えば、面白いテレビ番組を見たというところから、起源、伝播、形態へと話が広がり、ついに「全文検索」という機能と「人文学のあり方」の可能性を論じるところまで行き着くところだ。

結局のところ、私もそうなのだ。より大きな「思想」(などというほどのことではないが)は、好奇心を原動力に、日常の些事から着想し、そこから歴史をたどり、たどりついたところから現代を見てみたいということだ。

そのために、文献があれば読み、人がいれば、会って話を聞きたい。それらによって得られた情報を「人文的」、「科学的」に有機的に結びつけ、分析する。その過程に事実の裏付けも含まれる。しかし、それはアカデミック・ジャーナリズムとは呼べないのだろうか。


前田啓介(Keisuke Maeda)
1981年生まれ。上智大学大学院修了。2008年、読売新聞東京本社入社。長野支局、社会部などを経て、現職。近現代史や論壇を担当。満蒙開拓や、ペリリュー・アンガウルの戦い、沖縄戦、特攻、シベリア抑留など戦争に関する取材に関わってきた。著作に『辻政信の真実: 失踪60年――伝説の作戦参謀の謎を追う』(小学館新書)、『昭和の参謀』(講談社現代新書)がある。


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