
外国人の好みに合わせているため、日本の生活様式にはあわない奇妙なものもある。
漆蒔絵の西洋式戸棚や、人の背丈よりも高いキンキラキンの花瓶。アール・ヌーヴォ百合柄のテーブルだと思っていたら、それが蒔絵で、裏にMADE IN JAPANとかかれた紙を発見した日もあった。「明治の超絶技巧」などがブームになる、少し前のことだ。
イスタンブルへは日本からの直接輸入だけではなく、むしろ多くはヨーロッパの画商を通した輸入品であった。商魂たくましいヨーロッパ商人たちが、オスマン帝国スルタンに「最新流行ですから」と日本の文物を売りつけていたことを示す文書も見つかった。
だが<日本>は、そこだけでは終わらない。日本製だけではなく、日本流行、ジャポニスムの流れを受けて、ヨーロッパでも<日本風>のものが続々と作られていたのである。
19世紀に、浮世絵やゴッホやモネだけでない、いわゆる家具調度品、装飾美術の分野で日本のエッセンスが好まれ、取り入れられていたことは、日本ではあまり知られていないかもしれない。

しかし、イスタンブルの宮廷には、そのようなヨーロッパ製の日本風作品も、好んで購入されていた。それらは日本製ではない。だが、イスタンブルの宮殿で表象されていた<日本>があった。
イスタンブル製のジャポニスム作品まで生み出されていたことは、本書『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』の提示する新発見のひとつである。それは日本人が考える日本のプレゼンテーションとは異なる、海外における<日本>の表象を問いかける。
日本ではいわゆる「中東」もしくは「イスラーム」として、別のカテゴリーに追いやられがちなトルコ、あるいはオスマン帝国に「ジャポニスム」が存在した。そこにはヨーロッパとは異なる独自のスタンスがあったことを炙り出す。
オスマン帝国にとって<日本>は、たんなるヨーロッパの流行のエキゾチシズムの一要素ではなかった。非西洋の近代化のモデルとして見られていたのである。
