イスタンブル・ドルマバフチェ宮殿のクリスタルの階段の間。階段の手すりまでクリスタル製である。 ©ジラルデッリ青木美由紀
「...それで、うちにある日本のもの、いつになったら調べてくれるんです?」
はじまりは一本の電話だった。「うち」とは、トルコ共和国・イスタンブルにあるドルマバフチェ宮殿で、電話の主は当時の館長、ケマル・カフラマン氏だった。
今から150年以上前、オスマン帝国の政府中枢が置かれた西洋式の広大な近代宮殿。共和国となった現在では、国立博物館である。
そこに日本の文物があることは、昔から知られていた。女性居住区ハレムには、「ジャポン・オダス(日本の間)」まである。しかし、学術調査が入ったことは、それまでなかった。
思わず答えた。「そうですね、では、やってみましょう。なんなら今日から」。
そうして始まった調査は、意外な展開を見せることになった。わたしたちが一般に考えるのとかなり違う「日本」美術が、そこにあったからだ。すくなくとも、「日本美術史」としてわれわれが日本で学ぶ主要作の美的性格とは、かけ離れている。
日本的な要素を用いているのに、どうも<バタ臭い>ものもある。西洋風の手癖、中国風にも見える。 それに、さらに大きな問題がある。これらはそもそも、なぜここにあるのか?ということだ。
30年来イスタンブルを拠点とし、オスマン美術史を専門とするわたしにとっては、手に負いかねる問題である。途方にくれた。しかし、自分たちが所蔵する「日本美術」作品をもとに展覧会まで企画しようと、にこにこしている人々が目の前にいるのだ。
これは、なんとかしなければならない。ここにある「日本のかもしれないもの」と、これを見極める専門家とをとにかくつながねばならない、と。
筆者が編者を務めた『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』はその成果である。明治大正時代、海外からの需要と好みに応じて制作され、国内にはあまり作例が残っていない「輸出美術工芸」なるものの存在を今回知った。
