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美術

オスマン帝国を虜にした「バタ臭い日本美術」の謎...宮殿コレクション「輸出美術工芸」が明かすジャポニスムの新史とは?

2026年04月01日(水)11時00分
ジラルデッリ青木美由紀(美術史家、イスタンブル工科大学准教授補)
イスタンブル・ドルマバフチェ宮殿のクリスタルの階段の間

イスタンブル・ドルマバフチェ宮殿のクリスタルの階段の間。階段の手すりまでクリスタル製である。 ©ジラルデッリ青木美由紀


<トルコの人はなぜ日本が好きなのか?宮殿に遺されていた〈もう1つの日本〉について>


「...それで、うちにある日本のもの、いつになったら調べてくれるんです?」

はじまりは一本の電話だった。「うち」とは、トルコ共和国・イスタンブルにあるドルマバフチェ宮殿で、電話の主は当時の館長、ケマル・カフラマン氏だった。

今から150年以上前、オスマン帝国の政府中枢が置かれた西洋式の広大な近代宮殿。共和国となった現在では、国立博物館である。

そこに日本の文物があることは、昔から知られていた。女性居住区ハレムには、「ジャポン・オダス(日本の間)」まである。しかし、学術調査が入ったことは、それまでなかった。

思わず答えた。「そうですね、では、やってみましょう。なんなら今日から」。

そうして始まった調査は、意外な展開を見せることになった。わたしたちが一般に考えるのとかなり違う「日本」美術が、そこにあったからだ。すくなくとも、「日本美術史」としてわれわれが日本で学ぶ主要作の美的性格とは、かけ離れている。

日本的な要素を用いているのに、どうも<バタ臭い>ものもある。西洋風の手癖、中国風にも見える。 それに、さらに大きな問題がある。これらはそもそも、なぜここにあるのか?ということだ。

30年来イスタンブルを拠点とし、オスマン美術史を専門とするわたしにとっては、手に負いかねる問題である。途方にくれた。しかし、自分たちが所蔵する「日本美術」作品をもとに展覧会まで企画しようと、にこにこしている人々が目の前にいるのだ。

これは、なんとかしなければならない。ここにある「日本のかもしれないもの」と、これを見極める専門家とをとにかくつながねばならない、と。

筆者が編者を務めた『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』はその成果である。明治大正時代、海外からの需要と好みに応じて制作され、国内にはあまり作例が残っていない「輸出美術工芸」なるものの存在を今回知った。

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