アステイオン

対談

「女性初の家元」華道家・池坊専好が挑む、伝統のリブランディングとその覚悟...「池坊を筋肉質にする」とは?

2026年03月11日(水)11時10分
池坊専好 + 佐伯順子(構成:山本みずき)

asteion_20260303141421.jpg

本インタビューは2025年7月22日に京都・池坊ビルの道場にて行われた。クレジットのない写真はすべて蛭子真・撮影

池坊 いまは幸いにも、父と私、そして子の3代が共にいて、それぞれがまったく異なる作風を示しています。好む花も違えば、描き出す世界も違う。しかし、皆が同じ「池坊」という大きな流れの中で、それぞれの花を生けています。私自身は、「自分の作風を打ち立てよう」とか「父と異なるものを」と意識したことはありません。

作風というのは、意図して築き上げるものではなく、そのときどきの心のありようが自然ににじみ出るものだと思います。外から見れば1つの世界観として映るかもしれませんが、その瞬間に「美しい」と感じたもの、「表現したい」と思ったことに素直であり続ける──それだけです。

父の花には力強さがあり、子の花にはまた別の響きがある。人はそれぞれ人格も人生も異なるのですから、同じである必要はないですし、まねをする必要もありません。違っていてこそ、豊かな広がりが生まれるのだと思います。

いけばなは、ある意味で自分の心を映す「定点観測」です。振り返れば、作品がその時の自分を語ってくれるような側面もあります。だからこそ、常にその瞬間の自分に素直でありたいと願っています。

佐伯 日本の武道や伝統芸能の特徴として、まずは型を習って身につけるということがあります。お花にも、池坊様の場合でしたら、真(しん)・副(そえ)・体(たい)という基本的な形はおありかと思うのですが、単に決められた型に沿うのではなく、お父様、ご子息様、ご本人様でまったく違う個性がにじみ出ている。

型がありながら、型を超えた個性がおのずと創造される。お能にも通じますね。同じ型で演じていても、演者によってそれぞれの味わいが生まれるのは日本の伝統文化ならではの奥深さです。

池坊 最初の基本を学ぶ段階では、師を徹底して「まねる」ことがとても大切です。型を身につけるのは基礎であり、技を身につけるために避けて通れない道です。けれども、ある段階を超えると、型の上にその人の感性や経験が自然とにじみ出てきます。

私は「池坊だからこうあるべき」「家元だからこうあるべき」といった枠にはめるのはあまり好きではありません。その人が「生きていてよかった」と思えるような、自分自身を大切にする生き方が大事だと思います。最終的に人が生けるのは「人の花」ではなく「自分の花」、それこそが本当の意味でのいけばなだと考えています。


構成:山本みずき(東京大学大学院法学政治学研究科特任研究員)


池坊専好(Senko Ikenobo)
京都市生まれ。学習院大学国文科卒業。立命館大学大学院文学研究科修了。京都工芸繊維大学大学院博士後期課程修了。華道家元池坊の次期家元継承者。2015年に専好を襲名。六角堂(紫雲山頂法寺)の副住職もつとめる。著書に『秘すれば花』(通商産業調査会)、『花の季──池坊由紀の世界』(主婦の友社)など。

佐伯順子(Junko Saeki)
東京都生まれ。同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。国際日本文化研究センター客員助教授等を経て、現職。同志社大学京都と茶文化研究センター長もつとめる。専門は比較文化。著書に『「色」と「愛」の比較文化史』(岩波書店、サントリー学芸賞)など多数。


asteion_20251106150640.png


  『アステイオン』103号
  公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
  CEメディアハウス[刊]


(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)


【関連記事】
「日本文化」は世界に何を伝え、どこへ向かうのか...「伝統か、ポップか」を超えた現在地
日本文化はマンガやサムライを超えている...元文化庁長官がオランダの学生に勇気づけられた「ある一言」とは?
日本のイメージは「フジヤマ・サムライ・ゲイシャ」のまま...「正しい日本」を伝えるための「発信」とは?

PAGE TOP