Guitar photographer-shutterstock
われわれが何らかの情報を発信する際、発せられた情報の内容に注目しがちである。そこには伝えたいメッセージや発信者の意図が込められているため、送り手の側に焦点が当たるのも当然であろう。
しかし、情報発信には必ず想定される受け手が存在する。「何を伝えたか」だけでなく、「何が伝わったのか」も重要なのだ。しかし現実には「伝えたかったこと」と「伝わったこと」が一致しないという事態は、日常生活でも頻繁に起きている。
そのずれを象徴するのが、1937年に制作された日独合作映画『新しき土』(監督:アーノルト・ファンク)である。
外国人に「正しい日本」を伝えうるという理想の下に企画されたこの作品は、実際には西洋の視点から異文化として日本を眺める構図を強調するものとなり、結果として目的は失敗に終わった。
以上のような観点から『アステイオン』103号の特集「発信する日本文化」を眺めると、きわめて興味深い表情が浮かび上がる。
特集の冒頭に掲載された千玄室と佐伯順子の対談「丸い茶碗のなかの地球」は、一見すると茶の湯の持つ伝統性や文化的な意義を強調しているかのようである。
確かに、裏千家の家元として千利休以来の茶の湯の伝統を継承するとともに、茶の湯を世界に普及させるために生涯を捧げた千玄室の取り組みが紹介される箇所では、ヘンリー・キッシンジャーやリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉を通して、日本の文化や伝統の象徴としての茶の湯の価値が示されている。
だが、「メタバースのお茶会」についてのやり取りの中で「今の若い人たち」の試みを「新たな挑戦によって、新しい表現を生み出してくれるはずです。」(37頁)と肯定的に評価するのは、伝えたい姿だけでなく、これからを担うであろう若い世代がどのように茶の湯を受け止めているのかを理解した一言である。
これは、戦前から戦中、そして戦後という価値観の劇的な変化を通して茶の湯を守り通してきたからこその発言でもあり、また世界各地への普及活動を通して、多様な価値観の併存を知悉(ちしつ)してきた千玄室ならではの観点でもあろう。
