そこで、米の足りない分をそうした畑作物で補う工夫がなされてきたのだ。その代表が「糅飯(かてめし)」であり、それを汁で薄めた雑炊(ぞうすい)であった。
ちなみに、糅飯の「糅」は、日本での造字である。中国でのそれは「糧」。糅は、米を柔(やわら)かす、意。増量する、と解釈すればよかろう。
麦飯は別格扱いもされたが、稗飯・芋飯・大根(葉)飯・栗(どんぐり)飯などなど。それが、庶民の主食であった。糅(かて、糧)であった。
そうした歴史を通じてみたとき、ケ(日常)の食事は、糅飯や雑炊。そして、米の白飯は、あくまでもハレのごちそう(御馳走)として尊ばれてきたのである。ゆえに、これを「御飯(ごはん)」といったのだ。
うがってみるならば、その傾向は、現代にまでも通じる、といえよう。たしかにその消費量は減っただろう。が、割合からすると、約半分は米飯食に依存しているはずだ。
ただ、糅飯は、現代では主食ではなくなっている。それに代わって、うどんやラーメン、パンやスパゲティなどが主食化もしているのである。在来の畑作物(糅飯材料)が輸入の畑作物(小麦類)に入れ替わった、といってもよいだろうか。
いずれにしても、日本での米飯食は、歴史を通じて約半分の確保で間にあわせてきた、といえるのである。
こうした食習慣は、昭和30年代までは各地でたどることができた。したがって、日本人の伝統的な主食はと問われたら、「ハレの御飯にケの糅飯」と答えなくてはならないのである。
ケ(日常)とハレ(非日常)の食の区分を確認したところで、その調理面での大きな違いを再確認しておこう。そこで、ハレの食事をごちそうといいかえる。その馳走の条件は、現代にも相通じるはずだ。
まず、日常で使えない貴重な食材をふんだんに使うこと。ここでは、白米だけを用いての飯となる。
次に、日常ではかけられない手間をかけること。白米の飯もともかくだが、糯米(もちごめ)を蒸す。つまり、おこわ(強飯)をつくる。とすれば、ただの炊飯でなく、蒸籠(せいろ)を用いて蒸す手間を加えての馳走と相なるだろう。
となると、それをさらに臼(うす)と杵(きね)で搗(つ)く手間をかけた餅がさらなる馳走と相なるのである。
神崎宣武(Noritake Kanzaki)
1944年岡山県生まれ。文化審議会委員、(公財)伝統文化活性化国民協会理事、旅の文化研究所所長などを歴任。現在、東京農業大学客員教授、(公財)伊勢文化会議所五十鈴塾塾長、岡山県文化振興審議会委員などをつとめる。岡山県宇佐八幡神社宮司でもある。主著に『「まつり」の食文化』『社をもたない神々』(ともに角川選書)、『酒の日本文化』(角川ソフィア文庫)、『日本人の原風景』(講談社学術文庫)などがある。
『アステイオン』103号
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
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