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日本社会

「本屋の消滅」から「偏差値史上主義」まで...「書店員が選ぶノンフィクション大賞」が映し出した、日本の現実とは?

2025年11月19日(水)11時00分
中丸美繪(ノンフィクション作家)
書店で本を手に取る人

Ladanifer-shutterstock


<ノミネートされた50もの作品から「日本の今」とその背景を考える>


10月17日、第3回となる「書店員が選ぶノンフィクション大賞」が発表された。顧客の動向を最前線で知る670名余りの全国の書店員が、「売りたい」と感じて選んだのは、鈴木俊貴著『僕には鳥の言葉がわかる』である。

若き動物言語学者の著者は、第24回新潮ドキュメント賞ほかを受け、堂々4冠となった。声をひそめて言うが実は、私が200名余りの関係者を取材し、机にへばりついて股関節痛を発症しながら書いた、或る指揮者の伝記もノミネートされていた。

なんとノミネートは50作品。

この候補作の多さは、なんとかして顧客を呼び込もうという書店側の危機感の現れ、苦肉の策とも思われた。数週間にわたって、丸善ジュンク堂系列の書店ではノミネート作品フェアが開催され、密かに展示を見に行った私は、バラエティに富んだノンフィクションの数々から思わず数冊を購入した。

その中の1冊が、飯田一史著『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』。

最近、全国の自治体のほぼ30パーセントから書店が消えてしまったという報道が多い。私は東京の中央線沿線に長く住んでいるが、今年に入って、駅近の書店が撤退した。荻窪駅1分、高円寺駅前、さらに早稲田の三軒の文禄堂である。

昨年は、吉祥寺駅東口改札すぐ前のブックファーストが閉店。駅に行くたび、向かうたび、書店を覗けないというのは、人生の一部が削ぎ落とされた欠落感を覚える。

しかし、本書によると、出版業界最盛期とも言える1990年代でも、書店も図書館もない町村は、30パーセントにのぼっていたらしい。最近騒がれるようになったのは、都市部の大型書店が激減、リアルで本を買える場所が少なくなっている危機感が共有されたからに過ぎないというのだ。

それにしても、10月26日の日経新聞の見出し<小中高生の半数「読書0分」 スマホ使用で時間短く>も衝撃的だった。

だから本が売れないのか、と思いきや、海外でもネットやスマホの台頭は変わらない。それなのに、書籍市場や書店業が安定している国もあるのだ。

日本は本の原価率が低く、単価が安すぎる。1000円の本を売って、書店に入るのはわずか220円。他業種なら人件費やその他の経費が上がれば、その分を売り値に転嫁して利益を確保する。

ところが紙の値段が上がっても、日本の本の定価は安く抑えられている。欧米では書店マージン40パーセントというのは、特別に高い訳でもないらしい。

本書には、林望氏が2000年に「文藝春秋」に掲載した「図書館は『無料貸本屋』か」論争 も取り上げられるが、そもそも公立図書館が開架となったのは、敗戦後のGHQによる指導で、民主主義を育てる基盤とされたからということも知った。

本書は町の書店の商売がどのように成立したか、日本独特の出版・流通の事情、図書館と書店との関係、ネット書店の出現と影響を、存分に調査引用して読み解く。失われた書店の姿を描き、資料発掘と分析に労力をかけたこの書店史が、将来への新しい書店の姿のヒントになることは間違いない。

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