「戦時」とはいえない時期におけるこうした軍事と教育の関わりを、どのように理解すればよいか。
このような疑問点から出発し、約10年をかけて取り組んだ研究の成果を、筆者は先ごろ単著(The Age of Youth: American Society and the Two World Wars、ケンブリッジ大学出版局、2025年)にまとめた。
その中で筆者が注目したのは、1910年代から1940年代にかけて、米国の大人たちが様々な理由から、「軍事的なもの」の教育的効果に大いに期待したことである。
例えば、保守層の中には、「昔に比べて『女々しくなった』青年たちを心身ともに鍛え上げるため」という理由で軍事教練を支持した人々がいた一方、リベラル・革新派の中には、全く異なる理由から軍事と教育とのつながりを容認・支持した人々もいた。
つまり、平時には大規模な社会福祉・教育改革やそのための政府予算が実現しにくいという米国の事情を背景に、国防という名目ならそれが実現できると、彼らは期待したのである。
軍事と教育を結びつけるこうした発想を「軍国主義的だ」と批判した人々もいたし、米国の教育界が全て「軍事的なもの」に規定されたわけではない。
しかし、必ずしも国防政策と直結しない上記のような理由のために、若い男性に軍事的な訓練や教育を施すことを様々な立場の大人たちが支持するという構造が、20世紀前半を通じて構築されたのである。
なお、これは、「第二次世界大戦に向けて、米国は軍国主義化していった」という主張ではないことを強調したい。「軍事的なもの」に期待したのは主に民間人であり、軍部はそうした動きには消極的だった。教育事業への関与は、本業に注ぐべき貴重なリソースを削がれたからである。
教育と軍事との関連で注目すべきは、初等教育を超えて学校教育を受けることが、個人の社会経済的な成功の鍵だという考えが、この時代の米国社会に広まったことである。
19世紀には、初等教育を終えた子供たちは社会に出て、職場で職業訓練を受けて一人前になるのが一般的だった。ところが、工業化とホワイトカラー職の拡大により学歴社会化が進むと、中等教育や高等教育の卒業証書がミドルクラスへの切符だという認識が広まったのである。
そうした時期にあって、教育機関での軍事教練をめぐる議論は、若者の社会経済的な成功という問題と密接に関連していくこととなった。
