関連する資料調査の過程においては、公文書館に所蔵されている1946年、47年に作成された図面の中に、偶然にも日本人抑留者の記名がなされているのを発見した(写真7)。
ここでは詳述する紙幅がないが、モンゴルの近代化における首都建設の過程において、シベリアに抑留された日本人が深く関わっていたことに言及しておく。
モンゴルでは今もなお都市部から一歩外に出ると、約30万人、国民の1割ほどの人々が広大な草原で、基本的には昔と変わらぬ遊牧生活を営んでいる。
草原は自然の領域であり、豊かな草を育む恵みの大地を傷つけぬよう土を掘らず板を敷いてそっと置くように建てたゲルを中心として、馬や牛、羊や山羊が厳しい気候に耐え抜くため彼らに寄り添いながら季節ごとに場所を変え自然と呼応し暮らす。
冬営地の生活では、夜間家畜を寒風から守るため丸太で柵を作り屋根付きの畜舎を設置し、そのそばにゲルを建てて半ば土地に定着した暮らしとなる(写真8)。
こうした遊牧生活の中で土地を読み、草を読み、移住と半定住のゆらぎの中で生活を営む姿を見ると、現代モンゴルの住まいや都市の根底には今もなお遊牧文化の影響があることを再認識させられる。
昨夏(2024年)、国立民族学博物館名誉教授の小長谷有紀先生に導かれ、遊牧文明の母体となったアルハンガイ県で遺跡群と遊牧民の住まいを巡る旅にご一緒させていただく機会を得た。