アステイオン

思想

戦後日本を動かした「リベラル・モダニスト」とは?

2025年06月04日(水)11時00分
趙 星銀(明治学院大学国際学部准教授)

これらの論者の間に、一貫した教義のようなものが共有されていたかといえば、そうではない。彼らの問題関心や時代への処方箋は様々であり、もし彼ら全員を招いて座談会を開くとしても、彼らの見解はなかなか一致しないところが多いだろう。

にもかかわらず、彼らを一つに束ねる緩やかな共通項が存在する。自律した個人の選択を重視し、流動性と多様性を備えた成熟した社会を目指すという、リベラルな価値への尊重がそれである。

本書が指摘する通り、そもそも「リベラル」という思想的スタンスは、日本で強靭な伝統を持っているとは言い難い。もちろん、福沢諭吉、石橋湛山、清沢洌、河合栄治郎らによって培われた戦前の思想的土壌は存在していた。しかし戦後において、そのような戦前リベラルの系譜をダイレクトに継承することは容易ではなかった。

まず戦後初期には、敗戦による混乱と窮乏という共同体全体の危機の中で、「個人」の自由と権利、人格の尊厳性や他者への寛容を掲げるリベラリズムは、日本社会が取り組むべき喫緊の課題と直接には結びつかなかった。

また冷戦構造下の米ソ関係を背景にした保革対立の中で、「リベラル」の立ち位置は判然ではなかった。組合を中心に労働者勢力を結集し、「保守」と対峙したのは「革新」勢力であり、そのような状況の中で、戦前以来のリベラルたちは共産主義への警戒心から右寄りに傾いた。

革新勢力は彼らを「オールド・リベラリスト」と呼んだが、その「オールド」という表現には批判のニュアンスが込められていた。

逆にいえば、このような保革対立の磁場が緩んでいく時にこそ、リベラルは活躍の場を得ることができた。実際に多くのリベラル・モダニストたちが旺盛な活動を展開したのは高度経済成長以降の時期であった。

特に1970年代は、「日本型経営」の成功とともに日本が世界2位の経済大国に成長しながらも、まだ階層間の格差が広まる前の時代であった。こうした豊かさを背景に労使協調主義が定着し、戦後初期の張り詰めた保革対立の磁場は再編へと向かう。

世の中の事象を「階級」や「国家」と結びつけて人々を動かした時代は過ぎ去った。ここからは、階級闘争や米ソ対立を統合原理とする旧来の磁場は弛緩し、代わりに豊かな社会における精神的空洞化の問題、脱工業化社会を見据えた価値観の模索といった新しい課題が前景化する。

PAGE TOP