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日本社会

オルテガが警告した「大衆の反逆」は日本では起こらないのか、それともすでに始まっているのか?

2024年04月17日(水)11時10分
阿川尚之(慶應義塾大学名誉教授、著述家)

秩序の崩壊をもたらした最初の大戦とは異なり、第二次世界大戦ではドイツ、イタリア、そして日本というファシズム国家が徹底的に叩きのめされ、その後半世紀近く続いた冷戦の後には共産党の独裁が続いたソ連も崩壊した。「大衆の反逆」の最悪の果実は除去されたと、多くの人が感じた。

しかし、冷戦後も世界各地で紛争と圧政はなくならず、同時多発テロ事件をきっかけに中東へ軍事介入したアメリカは終わりのない戦を続け、国民の厭戦気分を背景に、成果を上げぬまま20年後完全に撤退する。その少し前に登場したのがトランプである。

オルテガが描写した大衆の思考と行動の様式を、トランプ以上に体現する人物はいないだろう。

理由を説明しないまま乱暴な政治的主張をする。批判的な知識人や学者、ジャーナリストは無視し、自分が正しいと言い張る。嘘もつく。一部の大衆がそれを痛快に感じ、熱烈に反応した。彼らはあっと言う間に大きな政治的勢力となり、トランプを大統領の座につける。

この背景には、左右を問わず現代の大衆が抱く大きな不満がある。オルテガが注目した20世紀初頭の大衆も不満を抱えていたが、エリートが独占していた特権を初めて享受したという意味で、悪いことばかりではなかった。

現代の大衆は仕事の質の低下、格差の拡大、難民の殺到と治安の悪化、優秀な教育のあるマイノリティに自分がとって代わられる可能性、自然災害の頻発、疫病の世界的流行などに直面し、不安を増し、不満を募らせる。

このような不満を代弁して、大統領選挙出馬宣言でトランプが述べた「壁を築こう」というスローガンは、アメリカで一つの時代が終わったことを暗示していた。この国が主張し続けた多様で開かれた国家の理念を、否定したのである。他国でも同様の動きがある。新しい大衆の反逆とともに、わがままな「壁の時代」が世界に広がった。

ところで現代の日本でも大衆の反逆は起こりつつあるのだろうか。この国にも大衆はいて「平均人」が巷に溢れている。通勤電車の席に並んで座る乗客は、大多数がスマホをいじりゲームに没頭している。大衆を対象にする多くのテレビ番組は、概して質が低い。

もちろん彼らも不安や不満を抱いている。物価上昇、人手不足、猛暑や豪雨など気候の異変、さらに最近ではマイナ保険証をめぐる政府の不手際、研修と称する自民党女性議員のヨーロッパ観光旅行、大阪万博の行き詰まり、など。しかしそうした不満が蓄積して大衆が反逆に走る気配はない。

物価高で苦しいと言うが、スーパーは物で溢れているし、専門店には高価なブランド品が並んでいる。コロナウイルスの流行が収まって新幹線はこの夏[編集部注:2023年]いつも満席に近かった。各地の花火大会や祭りは大変な人出だった。

しかし、どんなに観光地が混み台風で列車が運休になり駅が人で溢れても、人々は比較的落ち着いて係員の指示に従い、マナーを守る。若い人の多くも親切で礼儀正しい。群衆が突然暴れ出し略奪を始めるようなことはない。こうした「優しい大衆」の存在を、私は日本人として誇りに思う。

日本の大衆もかつては反逆に走った。古くは一揆や米騒動があった。戦後も70年代前半まで、スト、デモ、大学紛争などが頻繁に起きた。彼らは直接行動によって既存の体制を崩せると、本気で信じていた。意見は全く合わなかったが、あの頃の元気な左翼が、多少懐かしい。

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