Oleg Gekman-shutterstock
「境界を往還する芸術家たち」への関心が高まっている。『アステイオン』99号は、そのことを示すように、「境界を往還する芸術家たち」という特集を掲げている。
筆者の専攻は文化研究で、とくに欧米と東アジアの現代アートを専門としているが、近年は現代アートの領域でも「越境」がホットなトピックとなっている。
一例を挙げれば、一昨年・2022年、京都精華大学ギャラリーTerra-Sは存命作家の収蔵作品を中心として、まさしく「越境──収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」と題された展覧会を開催している。
特集「境界を往還する芸術家たち」では、「ヨーロッパで活動する日本人音楽家」(長木誠司氏)、「ブラジル日系芸術家」(岡野道子氏)、「日系アメリカ人作家」(ウォント盛香織氏)などの具体的な事例が扱われていると同時に、責任編集を務めた張競氏が巻頭言で述べるように、「そもそも越境とは何か」という根本的な問いにも目が向けられている点が重要であると感じた。
同特集の寄稿者のひとりである三浦雅士氏は、文字通り「越境とは何か」というタイトルの論考で、「越境とはほんらい自己という他者への越境」であると指摘する。
この言葉を反芻するなかで、筆者は、自身の研究と関連して、「他者」として周縁化された「自己」を見つめなおす決定的な契機として、近年の国内外での「ブラック・アート」への関心の高まりを考える視座を得た。
「ブラック・アート」という言葉を明確に、あるいは一義的に定義することは難しい。しかし、「〜ではない」という定式化は可能だ。
まず、ブラック・アートは必ずしも肌の色が「黒い」作家の芸術を意味しない。そもそも、肌の色の黒さには無限のグラデーションがある。つまり、ブラック・アートは、いわゆる「黒人」のアーティストによる表現に限定されないのだ。
さらに、ブラック・アートの担い手が、いつもアフリカ大陸にルーツをもつ、あるいはアフリカ大陸で生まれたアーティストであると考えることも不適切である。
では、ブラック・アートにおいて不可欠な要素とは何か。筆者の考えでは、それは15世紀から19世紀中葉にかけて大西洋地域で発展し確立された近代奴隷制と、それを引き継ぐかたちで19世紀中葉以降に猛威をふるった植民地主義の歴史と記憶である。
それゆえ、欧米におけるブラック・アートへの関心は、不正義の歴史を通じて疎外され、これまで顧みられてこなかったという意味で、「他者化された自己」を反省的に見据えることへの関心と結びついている。
vol.101
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