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アメリカは民主主義国の代表例とみなされているが、建国期からリベラル・デモクラシーの理念が形を変えることなく継承されてきたわけではない。
たとえば、デモクラシーに不可欠な要素と考えられている、複数の政党間での政権交代は、政党の存在自体が忌避されていた建国期のアメリカでは決して自明のことではなかった。
今でこそ民主党と共和党という二大政党が政権をめぐって相争う姿は見慣れた光景だが、立場を異にする複数の政党が競合する政治のあり方がアメリカの地に根づくには長い時間がかかったのである。
20世紀を代表する米国史家リチャード・ホフスタッターの著した『政党制の理念――アメリカ合衆国における合法的反対勢力の台頭(1780-1840)』(The Idea of a Party System: The Rise of Legitimate Opposition in the United States, 1780-1840)(1969年)は、建国期から南北戦争前にかけて、在野政党が合法的な反対勢力として正統性を獲得していく過程を描いた米国政治史の古典である。
1801年、第3代大統領トマス・ジェファソンは大統領就任演説で「われわれはみなリパブリカンであり、またフェデラリストでもある」と国内の融和を訴えた。そもそもリパブリカンとフェデラリストとは何者だったのか。
初代財務長官でフェデラリスト派のアレグザンダー・ハミルトンと対立したトマス・ジェファソンやジェームズ・マディソンらのもとで反対勢力が結集したのが、最初の野党となるリパブリカン派であった。
両者のあいだには、理想とする国家像をめぐる根本的な対立点がある。フェデラリスト派は中央集権を志向し、強い連邦政府を望んだのに対して、リパブリカン派は諸州の自治権を重視する傾向が強かった。
さらに、英仏両国との関係においても両者の違いは鮮明であった。
現代のイメージとは異なり、建国期のアメリカは欧州帝国領に囲まれた幼弱な新興共和国であり、つねに外国政府による陰謀の恐怖にさらされていた。
フェデラリスト派政権は親仏的な野党を「ジャコバン派」と貶し、対するリパブリカン派は政権の親英的な傾向を激しく非難したのである。
かくして1790年代には、財政問題や外交問題をめぐり、両派の対立は先鋭化した。そして、1800年の大統領選挙でジェファソンが勝利をおさめ、リパブリカン派が政権を奪い取った結果、フェデラリスト派は野党に転落したのだ。
「1800年の革命」とも呼ばれるこの選挙は、近代最初の平和的な政権移譲とされる。しかし、このときリパブリカン派は決して対立政党の存在を容認したわけではなかったのである。
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