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美術

ウェブはなぜ「横長」なのか──オンラインコミュニケーションに身体性がない理由

2022年03月25日(金)16時50分
伊藤亜紗(東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長・リベラルアーツ研究教育院教授)※アステイオン95より転載

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図4 こちらの手は逆に生気がなく、麻痺して無感覚になった物体のように机の上に置かれている。Gustave Courbet, Self-portrait, 1842

精神分析家のダリアン・リーダーが論じるように、手は必ずしも意志の従順な道具ではない。オンライン会議システムの画面から手を排除するとは、私たちの身体にあらわれた分裂を、つまり私たちの無意識を、他者の眼から隠すということである。

しかし人と人のコミュニケーションは、意識的に「伝えあう」情報だけではどこか物足りない。無意識的な動きから「伝わってくる」ものがあってこそ、私たちはその人の人となりをつかんだと感じるのではないか。

私たちがオンラインのコミュニケーションを窮屈だと感じるとき、それは身体を制御下から解放し、メッセージを「伝える」ものではなく「伝わってしまうもの」の領域に解き放つことを熱望しているからかもしれない。

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図5 顔は涼しげ、でも手には鋭さが。貂(てん)の獰猛さと貴婦人の気丈さを感じさせる。Leonardo da Vinci, The Lady with an Ermine, c.1489-1491

[注]
(1)Alois Riegle (Trans. into English by Evelyn M Kain and David Britt ), The Group Portraiture of Holland, Getty Research Institute for the History of Art and Humanities, 1999, pp. 102-103
(2)Ibid., p. 104
(3)マイケル・フリード(船倉正憲訳)「表象・再現の表象・再現」『寓意と表象・再現』法政大学出版会、1994年。

伊藤亜紗(Asa Ito)
1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究美学芸術学専門分野単位取得退学。博士(文学)。東京工業大学リベラルアーツセンター准教授を経て、現職。専門は美学、現代アート。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社、サントリー学芸賞)、『手の倫理』(講談社)など多数。


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