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ベラルーシ

ベラルーシの闇、ソ連の歴史を描いたノーベル賞作家と「ソ連最後の子供たち」世代作家

2022年03月14日(月)16時35分
奈倉有里(早稲田大学講師、翻訳家)※アステイオン95より転載

『理不尽ゲーム』の原書が出版された2014年、ベラルーシの実情はまだまだ世界には伝えられておらず、「緑が豊か」「ソ連的な雰囲気」という程度のどこか牧歌的なイメージが(つい最近までは日本でも)伝えられていることが多く、邦訳巻頭に載せた「作者からのメッセージ」でも述べられているように、あの本の内容に対しても「そんな〔に酷い〕はずはない」という反響があった。

スイスでイベントをした際には、「ベラルーシに旅行したことがあるけれど、街はきれいだし人々は幸せそうに見えた」とコメントした人もいたという(実際にはあの本は、その「ハリボテ」がいかなる犠牲のもとに作られているかを描いた本でもあるのだけれど)。

一方『赤い十字』の主人公はロシア人の青年であり、母が再婚相手と暮らしているからという理由でミンスクに越してきたものの、ベラルーシのことはなにも知らない。つい最近自分に降りかかった妻の病死という不幸で手一杯で、街の歴史になど興味もない。ところが、タチヤーナおばあさんの話を聞いているうちに自らの背負った悲しみが共鳴し、いつしか深く考えるようになる──ソ連の歴史を、そして現在のロシアやベラルーシを。

フィリペンコの言葉は、アレクシエーヴィチの描く人々の言葉にもこだましている──ソ連に生き、戦争や紛争のたびにいとも容易く犠牲になった人々の発話に。

アレクシエーヴィチのように、ひとりひとりの言葉を掬うこと(彼女は『亜鉛の少年たち』で、それを「歴史を、人の等身大にまで縮める仕事」と書いている)、そしてフィリペンコのように、埋もれていた資料を見直し、そこに生きた人間を見出すこと。

信じがたいような社会の闇が立て続けに露わになるとき、私たちの前におのずと現れる「いかに歴史と向き合うか」という課題に、二世代の作家はそれぞれのやりかたで真摯に取り組んでいるのだろう。


奈倉有里(Yuri Nagura)
1982年東京生まれ。ロシア国立ゴーリキー文学大学卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はロシア詩、現代ロシア文学。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、リュドミラ・ウリツカヤ『陽気なお葬式』(ともに新潮社)、ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』(岩波書店)、サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』(集英社)など。ドミートリー・ブィコフ「戦争という完全な悪に対峙する──ウクライナ侵攻に寄せて」(奈倉有里編訳)が話題となっている。



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