アステイオン

アメリカ

保守・リベラルで説明できなくなったアメリカ ──普遍国家の幻想崩れ、普通の「特殊な国」に

2021年01月27日(水)
会田弘継(関西大学客員教授・米論壇誌American Purpose編集委員)

リラが、そうした現状の中で2017年に発足した新論壇誌『アメリカン・アフェアーズ』が繰り広げる論考を「一番面白い」と位置付けているのは、もっともだ。リラも言うとおり、同誌に寄せられる論考の多くは「階級闘争」の視点を持っている。同誌は新しい保守思想の形成を目指しているが、それが階級闘争史観に基づくのだとすれば、なんとも言えない歴史の皮肉を感じる。ただ、ここでは紙幅の都合で紹介できないが、同誌の思想底流をかたちづくっているのは、戦前の代表的トロツキストで戦後は保守主義者となったジェイムズ・バーナム(1905〜1987)の思想であることを指摘しておきたい(バーナムから『アメリカン・アフェアーズ』に至る経緯は、拙著『破綻するアメリカ』(岩波書店)を参照いただければ幸いだ)。

この点も含めて、本特集でアレクサンダー・スティルの論考に付けられたタイトル「啓蒙の終焉?」は、この論考だけでなく、特集全体を通じて考えるべきテーマであろう。ユーラシア・グループの報告は「米国型の政治モデル」そのものが問われていると論じた。「米国型の政治モデル」が、普遍的な価値としての自由に基づく民主主義(リベラル・デモクラシー)を指すのだとすれば、実はそこには相当の誤解があるのではないか、ということも本特集の各論考が浮かび上がらせる点である。平井康大「島宇宙のアメリカ」が描く特異な宗教性や、山岸敬和「アメリカニズムと医療保険制度」が描く過剰なまでの国家権力忌避には、啓蒙という言葉で示唆される普遍性は感じられない。

20世紀は、たまたま米国が軍事・経済を軸に圧倒的優位を誇った世紀であったが故に、「米国型の政治モデル」が啓蒙の普遍性を体現するかのように多くが幻想した世紀であった。だが、すべての近代国家は歴史的背景を抱えて、それぞれに特殊だ。その中で先陣を切って近代を歩んできた先進各国は、さまざまな技術変化に主導されるグローバル化の進行の中で、これまでになく困難に直面し始めた。困難のかなりの部分は、それぞれの「特殊」に起因する。そうした潮流の中で、米国もまたひとつの、あたりまえに特殊な国に過ぎないことを露呈していくのが21世紀なのであろう。そんなことを考えさせる特集であった。

会田 弘継(あいだ ひろつぐ)
関西大学客員教授
米論壇誌American Purpose編集委員


『アステイオン93』
 サントリー文化財団・アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス 発行

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