アステイオン

外交

「悪役」国家の語り口

2020年09月16日(水)
中村起一郎(都市出版「外交」編集長)

ManuelBurgos-iStock.

外交専門誌を編集していると、時おり記事の内容について抗議を受けることがある。数年前にも、ある中東の国(仮にA国とする)の大使館から抗議を受けた。抗議の趣旨は、A国が越境して隣国に行った軍事行動をどのように呼ぶか(侵略、侵攻、軍事的進行など)、A国と敵対関係にある国境外の武装勢力の名称をどのように表現するか、の2点であった。

掲載した記事の内容に訂正すべき点は特になく、雑誌としてA国からの抗議は受け入れなかったが、他方で抗議に関して詳しく話を聞くうちに、考えさせられたこともあった。特に印象に残ったのは、その抗議の根底に、主として欧米のメディアが、A国の行動の一部のみを切り取り、欧米流の価値観にしたがって悪しざまに報道されることに対して、A国内で不満が鬱積していることであった。欧米メディアの報道が間違っているわけではない。しかしそこに至る歴史的背景はもちろん、IS(いわゆる「イスラム国」)がイラクやシリアを蹂躙するなかでA国が抱えるさまざまな負担、それらを踏まえたA国の戦略を理解した上で、事実をどのように切り取るか――編集者の水準が問われるところであり、正直に言えば、A国の不満も分からないではなかった。

同様の不満は、南米のある国(B国)の大使館から抗議を受けた際にも感じた。B国政府の非民主的な行動を批判的に分析した記事に対するものだったが、やはり根底には、南米の左派政権が米国から受けるさまざまな圧力や介入を無視して自分たちばかり批判されることへの不満を感じた。抗議ではないが、ある南部アフリカの国(C国)の独裁者の失脚について研究者にインタビューした際、その先生は宗主国である英国がC国の土地問題にきわめて不誠実な対応を繰り返してきた歴史を語り、それが欧米の報道ではほとんど伝えられていないことを指摘してこう言った。「中村さん、BBCやCNNが国際世論だと思ったら、大間違いですよ」。

その国の苦悩を理解し寄り添うことは、外交という「相手がある」話では特に重要だと、改めて思い至った。

しかし、寄り添ってばかりでは批判的な視点が摩耗してしまう。メディアや地域研究者の社会的役割は、私たちが抱くさまざまな誤解を解きながら、一つの物差しでは測れない地域や国家の事情――ある種の特殊性を社会に伝えること、他方で、その国の不都合を内在的に批判する視座を読者に提供し、それをできるだけ普遍的な論理と言葉で語ろうとすることであろう。しかし、言うは易く行うは難し。特に中東を特集するときはいつも思い悩む。だから、『アステイオン』92号「世界を覆う『まだら状の秩序』」の論考を、こうすればよかったのかと感心しながら(同業者としては少し悔しい気持ちで)読んだ。

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