アステイオン

日本

研究会:可能性としての「日本」

2018年10月10日(水)
鷲田清一(京都市立芸術大学学長・可能性としての「日本」研究会代表)

そこであらためて驚かされたのは、《大正期》と現在の日本社会の相同性であった。関東大震災という未曾有の被災を機に起こった社会の大変貌を合わせ鏡に、東日本大震災が突きつけたわれわれの時代の課題を見るという思いも少なからずあったが、それ以上にわれわれが《大正期》に議論の焦点を絞り込んだのは、大衆文化、消費社会、メディア社会、そして「ポピュリズム」の雛形、あるいは「現代」芸術とエンタテーメントの初期形態、さらには集住のかたちの劇的な変容や「群衆」の出現、「地方」への関心など、要するに「現代」社会の原型がこの時代に集中して現われていると見たからである。これらが、私たちが現代社会を見る眼を大いに揺さぶった。

いま少し具体的に申せば、たとえば「サラリーマン」という俸給生活者の急増、「女性の自立」をめざす婦人運動、窮民救済のための「方面委員」(のちの民生委員)の制度など、現代の労働状況の、フェミニズムの、そしてボランティアのはしりとなる現象がまず注目された。ラジオ・レコード・電話・雑誌など新しい情報・娯楽媒体の登場、関東大震災時の「流言蜚語」、「地方(ぢかた)学」の提唱なども、現代社会の議論と共振する。「チョイ悪おやじ」(不良老年)にあたる「モダン・ヂイ」が流行語になったことなども含め、まさに大正期に現代生活のさまざまな祖型が出現していた。

なかでも「給料取り」という就労形態の広がりは、勤労者と専業主婦という性役割分担を固定してゆくとともに、現代の地域コミュニティの崩れにつながる職住不一致の生活様式を急速に進行させていった点で重要だ。

それに、これらの現象はいずれも双面をもっていた。大衆の華やかな消費ブームの陰には、貧困にあえぐ「細民」の増加、つまりは「格差」社会の進行があったし、大正デモクラシーの象徴となる普通選挙法案が可決された5日後には治安維持法案が可決された。思想レベルでの文化主義の提唱の対極には、文化庖丁・文化風呂・文化住宅のような、新式の便利なモノという意味での「文化」の流行があり、その中間に「文化生活」をめざす生活改善の運動や「文化学院」の創設、「文化アパートメント」の建設などがあった。

時代はこのあと満州事変、太平洋戦争へとなだれ込んでいったが、その過程で抑止され、後退し、封殺されていったもろもろの可能性を、一つの文脈へと糾合せずに、いわば散乱状態にある《踊り場》として取り出すこと。私たちがめざしたのはそれだった。権勢史や思想史といった上空からのまなざしで時代を語るのではなく、地べたの「民の声」を掘り起こしてゆく作業だった。そして2018年5月、その中間報告を『大正=歴史の踊り場とは何か』として上梓した。

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