アステイオン

日本

「災後」の酒場から「災後」の文明を想う

2014年04月16日(水)
御厨 貴(東京大学先端科学技術研究センター名誉教授)

どこにでもある酒場の風景といえばそれまでのこと。でもどこかが違う。女将も、そして客も、あの3.11の「災後」を袖振りあうも多生の縁と思いつつ、そっと生き抜くための知恵を、明らかに働かせているのではないか。客が何者であるか、どういう素性なのか、客人には決して誰も問わない。本人が思わず口にすれば、それこそ短くつなぎの相の手を打つ。客の口からは、被災地でなければ絶対に語られることのない内輪話が、声低くとつとつと語られる。それを女将もまた過剰な感情移入などまったくせずに、これまたさりげなく継ぎ酒をさすように一言でつなぐ。周囲の客も妙に騒がず、聞くか聞かぬかの態度で応ずる。

みごとだった。一幕もののさりげない酒場の風景を見たかのようだ。余りにもよくお互いの出と引きとがかみ合っていた。おなじみさんも一見さんも皆が一杯立ち寄る店だ。そしらぬ顔はできまい。でも深みにはまることは避けねばならぬ。「災後」の現場の気分のありようは、このような光景に凝縮されるのか。言葉少なに、決して高ぶらず、しかしオムニバスの舞台のように、「災後」の酒場の時間は察し合いの中で流れてゆく......。

深夜、東京に戻る新幹線の中で、今夜の酒場の光景をつらつらと思い出していた。そして3年目を迎える3.11を前に、今再びあの『「戦後」が終わり、「災後」が始まる』とのキャッチフレーズに想いが至った。そう、3.11の直後から構想し、半年後に始まった我らの研究会の成果や如何。60代の猪木武徳さんと私とで、二頭立ての馬車をしつらえて、20代後半から50代前半までの第一線の研究者を15人動員することに成功し、「震災後の日本を考える研究会」は一気に走り出した。単に各人の報告のみならず、現地調査や合宿を含め、何かに憑かれたように、研究会は皆の思いを「戦後」から「災後」への一点に集中させる結果を招いた。そこではインターバルトレーニングを思わせるガチの研究会と、酒食のもてなしもかくやとばかりのアフター懇親会とが相俟って、参加者はタコツボの専門から一挙に解放されていく。

政治学、経済学、社会学、哲学、思想史、国際政治といった目くるめく社会科学の一騎当千の研究者たちは、「災後」文明のリアリティを求めて、アカデミズムとジャーナリズムとがきしみ合うキワどい円弧を描き出すのに成功した。「政治の反転」「恐怖と共感」「災後の気分」「グローバル化と災後日本」の4つのテーマへ絞り込み、一人の脱落者もなく収録された論考は、「災後」文明を貫くものを熱く語ってやまない。自分のから先に読んで欲しいとばかりに、満を持して読者─これまた、「災後」社会を懸命に生きる実務家、官僚、会社員、NPO関係者たち─に手にとってもらう瞬間を、今か今かと待ちかねている。

PAGE TOP