実際、そういう感覚が選手たちにも、応援するわれわれにも出てきている。
柔道の井上康生の成功のひとつの要因は、選手たちに国を背負うな、自分のために戦えと叩き込んだことにある。
私たちも、卓球であれば、やはり、中国の選手たちの異次元のプレイに感嘆するし、賞賛を惜しまない。
自分の国だけを応援し、盛り上がる、村同士の対抗のお祭りの時代はとっくに終わったのだ。
ビジネスとなり、プロスポーツが前提となった、個人間でも国の間でも不公平なオリンピックの意義はなくなったし、国ごとが戦うという虚構も、虚構ですら邪魔になったのだ。
だから、オリンピックは東京2020を最後に終焉を迎え、消えていくのである。
少なくとも、意義があり、私たちが素直に感動できるオリンピックは、コロナがあろうがなかろうが、もはや存在しないのである。
*この記事は「小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記」からの転載です