出版界にまったくコネがない無名の新人の作品だったが、IQはメジャーな新聞の書評欄で好評を得て、ベストセラーリストに入り、エドガー賞の新人賞候補にもなった。「自費出版で車のトランクに積んで売り歩くことだけは避けたい」と祈っていたイデにとって、この成功はショックですらあった。「家族のために作った料理が(料理のアカデミー賞と言われる)ジェームズ・ビアード賞を取ったような感じ」と彼は言う。

では、黒人の若者である主人公のIQは、どこから生まれたのだろうか?

少年時代のイデの愛読書は、シャーロック・ホームズの原作だった。12歳になるまでに、短編56作すべてを読了し、小説4作は何度も読み返したという。ホームズは、イデ少年のように内向的で、はみ出し者だった。タフガイではないのに、知性のパワーだけで敵を倒し、自分が住む世界をコントロールするホームズに、イデ少年は憧れた。

彼が育ったサウス・セントラル地区は、「学校への通学路が命を脅かすほど危険な地域」だったので、彼にとって、知性のパワーを武器にするホームズがすごく魅力的に感じたのだ。

「私の生い立ちと愛読書。これらの要素のすべてが自然に繋がり、『フッドのシャーロック・ホームズ』が誕生したのです」とイデは説明する。

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58歳で作家デビュー

だが、アメリカの人種問題は取り扱いが難しい。アジア系コメディアンがアジア系を揶揄したり、黒人が黒人への蔑称を使ったりすることは許されるが、ほかの人種がそれをするのはご法度だ。そんなアメリカで、アジア系アメリカ人作家が、黒人社会の小説を書いたことに抵抗を覚える人はいなかったのだろうか?

そんな筆者の質問に対してイデは、「驚いたことに、アフリカン・アメリカンのコミュニティからは、まったくネガティブな反応はありませんでした。好意的に受け止められており、とてもうれしく思っています」と答えた。黒人女性だけの読書会でも課題図書に選ばれ、ゲストとして参加したりもしている。

58歳で作家デビューしたイデは、年齢制限があまりないアメリカでも「遅咲き」と言える。そして、一つの職業で「成功」した人でもない。黒人の友だちを羨望して真似したけれども、黒人になれたわけではない。自分を取り囲む世界への憧れと心理的な距離感を持って生きてきたことは想像に難くない。でも、そういう生き方をしてきたからこそ、まれな観察眼が鍛えられたにちがいない。

IQは、そんなイデだからこそ書くことができた作品であり、生み出すことができたクールな主人公だ。IQは、イデ少年がなりたかった黒人街のシャーロック・ホームズなのかもしれない。