イデの両親はどちらも日系アメリカ人だが、育ったのは犯罪が多いことで知られるロサンゼルスのサウス・セントラル地区だという。イデは、自分の故郷を親しみを込めて「フッド(the hood、低所得者が多い黒人街の通称)」と呼ぶ。
二世や三世の日系アメリカ人からは、親から「一生懸命勉強して医者になれ」とか「ベストな大学に行け」といったプレッシャーを与えられたと聞くが、イデの両親はそうではなかった。「(政府が設定した)貧困ラインは、見上げないと見えない」と冗談を言うほど貧しかったイデの両親は、どちらも長時間労働で、4人の息子の教育に立ち入る時間もエネルギーもなかった。「自分たちで勝手に育ったようなもの」とイデは言う。
イデの友だちはほとんどが黒人で、仲間として受け入れてもらうために、彼らの話し方、スタイル、態度を真似した。羨望もあった。家族が貧しくてお下がりしか着られないのは自分と同じなのに、黒人の友だちの着こなしは、なぜかクールだった。
イデ少年を魅了したのは、スタイルだけではない。ヒップホップのようなストリートの言葉もだ。リズム、構文、言葉の選択、抑揚、限りなくクリエイティブなスラング......そのすべてがイデ少年には詩的に感じた。彼らの真似をして溶け込むことで、内気だったイデ少年は、タフなフッドで勇敢に生きることができたという。
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イデの特異な経歴
「偶然に日本人に生まれた黒人として完璧に通用はしませんでしたが、子ども時代のこのバージョンの自分をずっとありがたく思っているんです」とイデは振り返る。
大学卒業後に小学校の教師になったものの、子ども嫌いだということに気付いて退職。大学院を終えて、大学で教えたが、それも中断。その後、ビジネスコンサルタント、企業の中堅管理職、虐待を受けた女性を援助するNGOの運営など職を転々とした。その間、文章を書くことの夢は捨てきれなかった。
そこで、決意して安い賃金の仕事をやりながら脚本を書き始めた。その間に就いた仕事は、アパートの管理、従業員全員がトランス・ジェンダーの電話代行サービス業、後に詐欺師だとわかったフランス人実業家のアシスタントなどだった。
努力が実って脚本家になった後も、自分が書きたいことを書かせてもらえない葛藤などもあり、50代後半になって思い切って書いたのがこの処女小説『IQ』だ。