アイルランド系の労働者階級が住むボストン南部(通称サウジー)は、日本でも、クリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』、ジョ ニー・デップ主演の『ブラック・スキャンダル』などで知られているように、貧しい住民が多い犯罪の巣窟だった。だが、アイルランド系のギャングたちも敬虔なカトリッ ク教徒であり、その矛盾もまたボストンの文化の一つだ。

 そのサウジーで育った私の女友達には、7人の兄弟姉妹がいた。姉の1人は高校時代にギャングレイプにあい、もう1人の姉はレズビアンであることを家族に明かした。だが教会も家族も、レイプにあった少女とレズビアンを告白した少女を 「sinner(罪をおかした女、姦淫をおかした女)」として責め、切り捨てたという。その後もずっと自殺願望を捨てられずにいる姉たちを見てきた彼女は、カトリック教会を離れただけでなく、嫌悪している。

 映画『ミスティック・リバー』でも少年への性的虐待がテーマになっていたが、カトリック聖教者による少年の性的虐待も「公然の秘密」だった。ボストン・グローブ紙は、その事実を組織的に隠蔽してきた教会の内情を暴露する大がかりなリポートを2002年に連続して掲載し、2003年にピューリッツァー賞を受賞した。聖教者による児童の性的虐待スキャンダルは、それまでにも世界各地で起きていたのだが、この報道に励まされた被害者が次々と名乗りをあげ、一気に注目を集めることになった。

 このスキャンダルは全世界に広まり、2005年に就任したローマ法王ベネディクト16世への批判が高まって、辞任を求めるデモまで発生した。マネーロンダリングのスキャンダルも重なり、教会は信者をどんどん失い、ベネディクト16世は非常に珍しい「生前退位」を決意した。

 その後を引き継いだのが法王フランシスコだ。就任後、マネーロンダリングなどの金融犯罪と戦う命令を出し、聖職者による性的虐待についても「カトリック教会は被害者の保護より教会の名誉と加害者の保護を優先している」と教会を非難して、違反した聖教者への厳しい対応を勧告した。

 その一方で、世界のリーダーに地球温暖化防止を呼びかけ、アメリカとキューバの国交回復の仲介役になり、同性愛についても「もし同性愛の人が善良であり、主を求めているのであれば、私にその者を裁く資格などあるだろうか?[If someone is gay and he searches for the Lord and has good will, who am I to judge?]」とも発言している。

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 これまでよりも、ずっとリベラルな法王を、私の周囲にいるリベラルなカトリック教徒は大歓迎した。「ようやくカトリック教会はよみがえることができる!」と。

 世界から注目を集めているこの新しい法王から、バチカン専門のベテランジャーナリストがじっくり話をきいた記録が『The Name of God Is Mercy[神の名は慈悲]』という本で、アメリカでいま静かなベストセラーになっている。私はキリスト教徒ではないが、フランシスコへの好奇心から手に取ってみた。

 私はふだんキリスト教原理主義には反感を抱いている。それは、彼らが同性婚、中絶、(婚前交渉を前提とするためか)性教育、避妊に強く反対し、そのくせ未婚の母を差別し、救済にも反対するからだ。彼らの語るVengeful[復讐心が強い]な神には近づきたくもない。だが、フランシスコの語る神は、徹底的にMerciful[慈悲深い]なのだ。